出エジプト記4章 モーセの不従順

目次

3つの奇跡

エジプトに行って、奴隷となっているイスラエルの民を解放するように命じられたモーセですが、なかなか積極的になれません。
どうしてこう煮え切らないのかと言えば、やっぱりかつての失敗がトラウマになっているのでしょうね。
問題を自分の力で解決しようとして、挫折した。
その時、助けようとした人々からも裏切られ、追いやられて、エジプトの王家から羊飼いへとなり下がった人生です。
もはや自身も情熱もない自分が、どうしてエジプトに戻れるだろうか?

そんなモーセに、神さまは3つの奇跡を通して励まします。

第一の奇跡は、持っていた羊飼いの杖が蛇になり、また杖に戻るという奇跡です。
確かにびっくりするような奇跡ですが、どうして杖が蛇になったのでしょう?
実は、蛇はエジプトを表しています。
よくファラオが被っている髪の毛のようになっている部分を思い出してみてください。

額の部分に蛇(コブラ)がついていますよね。
エジプトでは、蛇がとても大切で象徴的な存在だったようです。

羊飼いの杖が蛇になって戻るという奇跡は、「エジプトはあなたの思いのままだ」ということが象徴されていたのです。

二つ目の奇跡は、手を懐に入れると手がツァラアトに冒され、もう一度入れると癒されるという奇跡です。
ツァラアトというのは、ある種の皮膚病で、当時は癒されることがない汚れであり、忌み嫌われるものでした。
後に律法の中で、ツァラアトに冒された人は隔離されなければならなくなります。
ツァラアトが実際にどのようなものだったのかはわからないのですが、壁にできたりもするところから、カビのようなものだったのかもしれません。

この奇蹟には、奴隷となったイスラエルが癒され、解放されることが表されています。

さらに、三つ目の奇跡について神さまは伝えます。
それは、ナイル川の水が血に変わるという奇跡です。
これは10の災いへと繋がる大きな奇跡ですね。
ナイルはエジプトにとって大切ないのちの源であり、神の川でもありましたから、それが血に変わるということは彼らにとって恐ろしい出来事です。

モーセの不安

しかし、それでもモーセの中の不安が拭い去られることはありません。

出エジプト 4:10 モーセは【主】に言った。「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」

これは、僕たちも同じことを言いそうですね。
いや、今も言っている人は多いのではないでしょうか?
「福音を伝えなさい」と命じる神さまに対して、「わたしにはムリです」と言ってはいないでしょうか?
神さまは、こう言います。

出エジプト 4:11 【主】は彼に言われた。「人に口をつけたのはだれか。だれが口をきけなくし、耳をふさぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、わたし、【主】ではないか。
4:12 今、行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える。」

必要な言葉は、神さまが与えてくださいます。
僕たちに必要なのは、それを言うかどうか、それだけです。
大切なのは、僕たちが神さまに信頼して伝えるということですね。
しかし、モーセはそれでも拒み続けます。

出エジプト 4:13 すると彼は言った。「ああ、わが主よ、どうかほかの人を遣わしてください。」

すると神さまは、あまりに頑ななモーセの様子に、さすがに怒りました。

出エジプト 4:14 すると、【主】の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう言われた。「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼が雄弁であることをよく知っている。見よ、彼はあなたに会いに出て来ている。あなたに会えば、心から喜ぶだろう。
4:15 彼に語り、彼の口にことばを置け。わたしはあなたの口とともにあり、また彼の口とともにあって、あなたがたがなすべきことを教える。
4:16 彼があなたに代わって民に語る。彼があなたにとって口となり、あなたは彼にとって神の代わりとなる。
4:17 また、あなたはこの杖を手に取り、これでしるしを行わなければならない。」

僕たちが拒み続けるなら、神さまは別の方法でその計画を成し遂げることもあるでしょう。
でもその時、僕たちは本当なら味わえるはずだった祝福を逃すことになります。
そこに表されるはずだった御業を、見逃してしまうことになります。
僕たちは、どんな時でも神さまに信頼して従うことが大切ですね。

血の花婿

さて、いよいよエジプトに向かうモーセ達に、早くも試練が訪れます。

出エジプト 4:24 さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。【主】はモーセに会い、彼を殺そうとされた。
4:25 そのとき、ツィポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り取り、モーセの両足に付けて言った。「まことに、あなたは私には血の花婿です。」

この時、一体何が起こったのか、どのように解釈するべきなのか、正直に言うと僕にはよくわかりません。
色んな説があるようですので、いろいろ検索して調べてみるといいかもしれません。
ここでは、僕自身が感じたこと、受け取ったことを書いておきますね。

これからエジプトで与えられた使命を果たそうとしていたモーセが、なぜか命の危機に陥りました。
聖書には「モーセが主に会い」ということしか書かれていませんね。
でも、モーセの危機の中でチッポラは、まだ割礼を受けていなかった息子に割礼を施し、その血をモーセの両足につけ、「まことに、あなたは私には血の花婿です」と言いました。

モーセは割礼を受けていたようですし、息子に割礼を施していないからといって父親が殺されそうになるというのは、ちょっと意味が分からないですよね。
ほんと、いろいろ意味がわからないんです。

「モーセの両足」という表現は、「モーセの性器」という意味にも解釈することができるようです。
このときチッポラは、息子に割礼を施した包皮をモーセの性器につけることで、モーセが割礼を受けた正当なイスラエル人であり、神さまの選びと計画の中にある人だということを表現したかったのではないでしょうか?
「神さま、この人はあなたが選んだ正当な器であり、割礼のゆえに血の花婿です」というような…。

もし、この出来事がこういう意味だったとすれば、チッポラにとって大きな意味を持つ出来事だったでしょう。
チッポラはミデヤン人の祭司の娘だったわけですが、この出来事を通してイスラエル人としての自覚を持つこととなったでしょう。

まぁ何にしても、この出来事はこれから起こるファラオとの戦いの前に整えられる必要な時だったのでしょうね~。

アロンとの再会

神さまは、アロンにも表れ、モーセと会い、モーセを助けるようにと命じます。
こうしてモーセとアロンは、協力してファラオと対決することになったのです。