出エジプト記5章 裏目に出た抗議

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ファラオへの抗議

モーセとアロンは、神さまに命じられたとおりにファラオに話しました。
勇気が必要だったでしょうね。
ファラオの反応はどうだったか?
もちろん言い反応ではありませんでした。

出エジプト 5:2 ファラオは答えた。「【主】とは何者だ。私がその声を聞いて、イスラエルを去らせなければならないとは。私は【主】を知らない。イスラエルは去らせない。」

なおも食い下がろうとするふたりに、ファラオは苛立ちを隠そうともせず、彼らを懲らしめるために労働を増やす命令を出します。

出エジプト 5:7 「おまえたちは、れんがを作るために、もはやこれまでのように民に藁を与えてはならない。彼らが行って、自分で藁を集めるようにさせよ。
5:8 しかも、これまでどおりの量のれんがを作らせるのだ。減らしてはならない。彼らは怠け者だ。だから、『私たちの神に、いけにえを献げに行かせてください』などと言って叫んでいるのだ。
5:9 あの者たちの労役を重くしたうえで、その仕事をやらせよ。偽りのことばに目を向けさせるな。」

れんがは粘土質の土を固め、乾燥させて作りますが、土のつなぎとなる藁が必要になります。
これまでは、その藁は支給されていたのですが、これからはその藁も自分たちで集めて来いというのです。
しかも、これまでよりも作るれんがの量を減らしてはならない。
忙しくなれば、「いけにえを献げに行かせてくれ」などというたわけたことを言っている暇もなくなるだろうというわけです。

イスラエルの人々は、もちろんこのことに抗議をしました。
「つなぎの藁を自分で用意しろと言うのに、前までと同じ量のれんがを作ることなんて、できるはずがないじゃありませんか。どうしてそんな無茶なことを言うのです?」

出エジプト 5:17 ファラオは言った。「おまえたちは怠け者だ。怠け者なのだ。だから『私たちの【主】にいけにえを献げに行かせてください』などと言っているのだ。
5:18 今すぐに行って働け。おまえたちに藁は与えない。しかし、おまえたちは決められた分のれんがを納めなければならない。」

「怠け者だ! 怠け者なのだ!」と重ねられた言葉には、ファラオの怒りさえ感じられます。
こうしてファラオは、イスラエルの人々の講義などには耳を貸さず、言い放ちました。
そしてそれは、巧みな作戦でもありました。
これによってイスラエルの人々は、ファラオに対する怒り以上に、余計なことをしてくれたモーセとアロンに対しする怒りを募らせたのです。

今や、モーセとアロンは、助けに来たはずのイスラエルの人々からの怒りを買ってしまいました。
彼らは口々に二人に抗議します。

出エジプト 5:21 彼らは二人に言った。「【主】があなたがたを見て、さばかれますように。あなたがたは、ファラオとその家臣たちの目に私たちを嫌わせ、私たちを殺すため、彼らの手に剣を渡してしまったのです。」

自分たちがしたことが、イスラエルの人々を返って苦しめることになったと知り、モーセとアロンは愕然とします。
彼らとすれば、嫌だったけど神さまが言うからそれに従ったのに、やっぱり神さまの言うことは間違っているではないかということになります。

出エジプト 5:22 それでモーセは【主】のもとに戻り、そして言った。「主よ、なぜ、あなたはこの民をひどい目にあわせられるのですか。いったい、なぜあなたは私を遣わされたのですか。
5:23 私がファラオのところに行って、あなたの御名によって語って以来、彼はこの民を虐げています。それなのに、あなたは、あなたの民を一向に救い出そうとはなさいません。」

神さまに従っても

僕たちは、神さまに従って行動したつもりなのに、状況がちっともよくならないことがあります。
それどころか、状況が悪くなっているように感じることもあります。

福音を伝えるように促されて伝えてみたら、その人の怒りを買って、福音からさらに遠ざかってしまった。
神さまの導きを受けて相手に優しくしたはずなのに、恩をあだで返されてしまった。
そんな経験が、少なからずあるのではないでしょうか?

でも僕たちは、目先の結果に惑わされていはいけません。
それが神さまに命じられたものである限り、長い目で見れば、その先には必ず素晴らしいことが起こるはずです。
でも、すぐにはその結果が出なかったり、一時的に状況が悪くなることだってあります。
だからと言って、それが神さまの御心と違ったのだとは思わないでください。
起こるべくして起こる困難というものも、あるからです。