出エジプト記6章 わたしは主である

神さまの励まし

「神さまに従って行動したつもりなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう?」と思うことはありませんか?
この時のモーセ達は、まさにそのような状況にありました。

出エジプト 6:1 【主】はモーセに言われた。「あなたには、わたしがファラオにしようとしていることが今に分かる。彼は強いられてこの民を去らせ、強いられてこの民を自分の国から追い出すからだ。」

「今はわからなくても、その内に必ずわかるよ」と神さまは仰られたわけです。
すぐにわかるわけではありませんが、待たなければならないときというのは僕たちにもありますね。
神さまは、「今はわからないだろうけど、あとでちゃんとわかるから大丈夫だよ」と教えてくださっているのです。

そして、神さまである主が①エジプトの苦役から導き出し、②重い労働から救い出し、③延ばされた腕と大いなるさばきによって贖い、④イスラエルの神となり、⑤約束の地を与えるという約束を、イスラエルの人々に伝えるように命じられました。(出エジプト6:6-8)

しかし、彼らの反応はこうでした。

出エジプト 6:9 モーセはこのようにイスラエルの子らに語ったが、彼らは失意と激しい労働のために、モーセの言うことを聞くことができなかった。

僕たちも、よくこういう状況に陥りませんか?
神さまがどれだけ語りかけてくださっていても、忙しくし過ぎていたり、世の中にがっかりし過ぎていて、神さまの言葉が心に届かないのです。

神さまの言葉を受け取るなら、僕たちの心にはもっと平安と安心が満ちるのではないかなぁと思います。

私は口べたです

気力を失っているのは、イスラエルの民だけではありませんでした。
ファラオも説得できず、それどころか仲間であるはずのイスラエルの人々からも冷たくあしらわれて、モーセはすっかりくじけてしまいました。
ただでさえ自信がなかったのに、完全に心が折れてしまった状態です。

神さまは再びファラオのところに行って、もう一度「イスラエルを去らせよ」と言うように命じますが、モーセはそれを拒みます。

出エジプト 6:12 しかし、モーセは【主】の前で訴えた。「ご覧ください。イスラエルの子らは私の言うことを聞きませんでした。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか。しかも、私は口べたなのです。」

モーセとアロンがどのような人たちなのか、彼らの系図がひとしきり紹介されたあと、30節でもこの言葉が繰り返されていますね。

出エジプト 6:30 しかし、モーセは【主】の前で言った。「ご覧ください。私は口べたです。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか。」

これは、このやり取りが2回繰り返されたということではなくて、このように自信を失っているモーセとアロンだけど、本来は神さまの選びの元にある正当な器であり、神さまはこれまでもイスラエルを支えてきたじゃないかということを、思い出させるための演出です。

僕たちにはちょっとわかりにくいんですけど、ヘブル的な手法ですね。

僕たちも、モーセ達のように言い訳をしてしまうことがたくさんあります。
でも、神さまはいつでも僕たちとともにいてくださったし、助けてくださったじゃないかということを思い出したいですね。