出エジプト記 6章 神名の啓示と約束(6:1–30)
1. 神の答えは「わたしは主である」(6:1–2)
モーセの嘆きに対して、神はこう答えます。
「わたしは主(ヤハウェ)である。」
これは単なる自己紹介ではなく、 神の本質・性質・契約の忠実さを宣言する言葉です。
5章の混乱と挫折に対する神の答えは、 「状況の説明」ではなく 「ご自身の名の再啓示」でした。
2. 「アブラハム・イサク・ヤコブには“主”として知られなかった」(6:3)
神はこう言います。
「わたしは彼らに全能の神として現れたが、 主(ヤハウェ)という名では知られなかった。」
これは「ヤハウェという語を知らなかった」という意味ではなく、 “ヤハウェの意味(契約を成就する神)を体験していなかった” という意味です。
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族長たちは「約束を受けた」
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イスラエルは「約束の成就を体験する」
つまり、 ヤハウェという名の意味が歴史の中で展開される ということです。
3. 神は「思い起こし・聞き・見・知り・下る」神(6:4–5)
神は民の苦しみに対して、次の動詞を使います。
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思い起こし(契約を)
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聞いた(叫びを)
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見た(苦しみを)
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知った(痛みを)
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下る(救いのために)
これは、 神の契約は感情的・関係的・歴史的に動く契約 であることを示します。
4. 七つの「わたしは〜する」—神の救いの宣言(6:6–8)
ここは出エジプト記の中心宣言です。 神は七つの「わたしは」を語ります。
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わたしはあなたがたをエジプトの重荷から救い出す
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わたしはあなたがたを奴隷の状態から解放する
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わたしは腕を伸ばして贖う
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わたしはあなたがたをわたしの民とする
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わたしはあなたがたの神となる
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わたしはあなたがたを約束の地へ導く
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わたしはその地を与える
これは、 出エジプトの救いの全体像です。
そして最後に再びこう言います。
「わたしは主である。」
神の救いは、 神名(ヤハウェ)に基づく契約の成就です。
5. 民は聞かなかった(6:9)
モーセは民に語りますが、
「民は聞かなかった。 苦しみと過酷な労働のためである。」
これは、 痛みが信仰の耳を塞ぐ という現実を示します。
神の言葉が語られても、 状況があまりにも苦しいと、 人は希望を受け取れません。
6. モーセの再びの不安(6:12)
モーセは再び言います。
「私は口が重いのです。」
これは4章と同じ不安です。
モーセは、召命を受けてもなお、 自分の弱さに囚われ続けています。
7. 神はモーセとアロンを再び立てる(6:13)
神はモーセの不安に対して、 再び「行け」と命じます。
神は、 弱さの中で召命を繰り返し確認する神です。
8. 系図の挿入(6:14–27)
突然、系図が挿入されます。
これは奇妙に見えますが、意味は明確です。
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モーセとアロンが「契約の民の正統な代表」であること
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レビ族の系統であること
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神の働きは「歴史と血筋の中で進む」こと
を示すためです。
9. 神の言葉の再確認(6:28–30)
章はこう締めくくられます。
「わたしは主である。 あなたはわたしが語ることをすべて語れ。」
モーセは弱さを訴え続けますが、 神は「わたしは主である」という一点で召命を支えます。
10. まとめ
出エジプト記6章は、 神がご自身の名と契約を再び語り直し、 救いの歴史を本格的に動かす章です。
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「わたしは主である」
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「わたしは覚えた」
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「わたしは聞いた」
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「わたしは救い出す」
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「わたしは贖う」
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「わたしは民とする」
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「わたしは地を与える」
これらは、 出エジプトの救いの神学の中心宣言です。


