出エジプト記20章 十戒
十戒
モーセには、神さまからことばが与えられます。
この20章で語られることばが十戒ですね。
十戒の内の最初の4つは神さまとの関係、後の6つは人間との関係について語られています。
- 他に神をもたない
- 偶像を作らない
- 主の御名をみだりに唱えない
- 安息日を守る
- 父と母を敬う
- 殺さない
- 姦淫しない
- 盗まない
- 偽証をしない
- むさぼらない
神さまに近づく
モーセが十戒について教えられている間、シナイ山のふもとで待っていた民たちは、雷鳴、稲妻、角笛の音、煙る山を目の当たりしていました。
それを見た人々は恐れを抱きました。
出エジプト 20:19 彼らはモーセに言った。「あなたが私たちに語ってください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお語りになりませんように。さもないと、私たちは死んでしまいます。」
これは、大きな問題だと思います。
神さまは、民と直接語り合うことを願っていただろうと思うからです。
だって、モーセ1人が祭司なのではなく、イスラエル全体が祭司の王国だからです。
しかし、恐れを抱いた人々は、モーセが代表となって神さまのことばを受け取ることを願いました。
皆さんが、直接神さまと語り合うことを神さまは求めています。
その責任を、牧師や司祭に任せきってしまってはいないでしょうか?
神さまから聞くためには特別な勉強をしたり、訓練を受けなければならないと思っていませんか?
確かに、神さまの声を聞くためには多少の練習が必要な時もあります。
でも、神さまとは誰でも出会い、誰でも聞くことができます。
僕たちが神さまに近づくために必要なのは、イエスさまを通して出会うことです。
恐れず、畏れる
出エジプト 20:20 それでモーセは民に言った。「恐れることはありません。神が来られたのは、あなたがたを試みるためです。これは、あなたがたが罪に陥らないよう、神への恐れがあなたがたに生じるためです。」
「恐れることはありません」と言いながら、「神への恐れが生じるため」に来たというのはちょっと矛盾しているように聞こえますね。
これは、神さまを恐れるのではなく、しかし神さまを畏れることによって罪から離れなさいということです。
字を使い分けるとわかりやすかったですね。
神さまを恐れるのは、僕たちが神さまを知らないからです。
また、罪がいっぱいあるので、裁きが怖くなって恐れるのです。
でも、僕たちは神さまを恐れる必要はありません。
神さまは僕たちを愛してくださっているからです。
でもそれは、神さまを甘く見るということとは違います。
僕たちは、神さまを畏れる必要がある。
僕たちの中にある罪を、神さまは憎むからです。
僕たちが罪を愛し、罪に執着するなら、それは神さまを愛さないということです。
神さまを愛し、神さまを第一とするなら、僕たちは自然に罪から遠ざかっていくのです。