十戒(10)むさぼらない(過去ブログより)
出エジプト 20:17 あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」
「自分はどうしてこんな人間なんだろ。」って思った事はない?
もっと才能があったら…
もっと男前だったら…
もっと痩せてたら…
もっと頭が良かったら…
もっとお金があったら…
もっと仕事ができれば…
もっと、もっと、もっと…
神様はね、僕達に必要なものを、もう十分に与えてくれているんだ。
僕には僕に、あなたにはあなたに、それぞれ神様から与えられた能力があり、持ち物があり、環境があり、機会がある。
そうは言われても、僕たちの中には心の中にうずきがあったりするんだよね。
今のままでは十分ではないような気がしてくる。
それはね、僕たちの中に比較する価値観があるからではないだろうか。
十戒の最後を締めくくる戒めは、「他人のものを欲しがってはならない」という戒めなわけだけれど、それは他人のものに目を留めて、自分よりいいものを持っていると感じた時に起こってくる感情だ。
でも、僕たちに与えられているものは、もう自分のためには十分なものなんだよ。
僕達が生きるこの世界では、すべてのものが比較される。
より劣るものは排除されていくのであれば、自分が優れている事は死活問題だ。
でも神様の目には、僕たちの中に優劣なんて存在しないよ。
僕たちを目的をもって創り、目的に合わせて創っているのだから、僕たちがその目的を果たすなら、他より勝るものなんて何もない。
たくさんの人を救いに導いたり、たくさんの人を幸せにしたら、神様は喜んでくれると思っていない?
そうじゃないよ。
僕たちが福音を伝えるべき相手に福音を伝える事や、与えられている賜物を用いて幸せを分かち合う事を、神様は喜んでくださるんだ。
僕が僕という人間以上の存在になる事を、神様は求めてなんかいない。
僕たちはそれが素晴らしい事であるかのように思ってしまうのだけれど、自分のあるべき形からかけ離れた生き方をする時、そこに幸せなんて感じる事はできないよ。
より高く、より多く、より美しくが僕たちの目指すべき場所じゃない。
より、イエス様の近くに…。
そこにこそ、本当の自分らしさがある。
今、僕たちが弱さだと思っていることの中にこそ、僕たちの本当の価値が隠されているのかもしれないよ。
Iコリント 1:26 兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
1:27 しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。
1:28 有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。
まとめ: 他人と比較しないで、自分の価値を見いだそう