旧約聖書編1: 父祖たちの時代 創世記(メソポタミア文明)

さて、聖書の舞台となったイスラエルは、メソポタミア文明とエジプト文明という、四大文明の内の二つの文明との関わりを持っている。
今回はメソポタミア文明に焦点を当てながら話を進めていこう。

メソポタミア文明は、ティグリス川とユーフラテス川という二つの川の間から広がる『肥沃な三日月地帯』に発展した文明。
太陽暦が用いられ、時計の60進法や、週7日制が始まったのもメソポタミア文明からであった。
中でもBC3000年ころからBC2350まで興ったシュメール人たちによって文字が発明され、そこからメソポタミアの文明は大きく発展していった。
歴史の記録もこのころから始まっており、それ以前は伝承としてしか残っていない。

シュメール人たちは都市を中心として都市国家を形成したが、互いの抗争が激しく、統一国家ができることはなかった。
ウル、ウルク、ラガシュなどが有名なシュメールの都市国家である。
ティグリス川とユーフラテス川が最も近づくエリアにグ・エディン(平野の首)と呼ばれる場所があり、エデンの園のモデルとなったのではないかという説もある。

その後BC2350-2230年の間、アッカド人がこの地域を支配し、アッカド王国という歴史上初めての王国を作った。
初代王となるサルゴン1世がメソポタミアを支配し、「世界の王」という称号を受けた。

その後、シュメール人が反乱を起こし、ウル第三王朝(BC2230-BC2000)が興る。
他民族の侵略によりウル第三王朝が滅亡すると、シュメール人は他民族と混ざり、消えていった。
古バビロニア王国(BC1900-BC1600 )が再びメソポタミアを統一するまでのBC2000-BC1800はいくつもの民族や国が入り乱れて存在した。
アブラハムはこのころ活躍したと思われる。
青銅器時代中期と呼ばれるころである。

メソポタミアの信仰

メソポタミアの文明は多民族による混乱の歴史でもある。
そしてそれぞれの民族が神話体系を持ち、それぞれの神々を信仰していた。
その神話には互いに関連性を持つものもあったが、強い国が弱い国の神話も呑み込んでいくということが起こっていたように思う。

主な神話体系は、シュメール神話/ギルガメッシュ叙事詩(アヌ、エンリル、エンキなど)メソポタミア神話(アン、アナンヌキ、イシュタル、ティアマト、マルドゥクなど)、ウガリット神話(アーシラト、アスタルト、アナト、エル、バアル、もーとなど)、アッシュール神話(アッシュール、イシュタルなど)。
こうして見てみても、互いの神話が影響を与え合い名前が似通っている。
物語は重なっている部分もあるが、少しずつ違ったりもする。

批評学の立場の人々は、旧約聖書もこれらの神話が元になっていると主張する。
旧約聖書の中でこれらの神話と似通っている部分があるのは、創世記1-11章まで。
天地創造やエデンの園、大洪水、バベルの塔などである。
でもこれは、歴史的に実際にあった出来事に関して、それぞれの立場で描いていると考えるなら当然のこと。
旧約聖書は他の神話体系とは大きく違う視点を持っていて、物事をより正確に記録しているように思える。(エデンの園の場所やノアの箱舟のカタチなど)

創世記4-10章

創世記4-10章までは、1-3章と同じように神話的な表現で描かれている。
それは、歴史の記録を目的とするのではなく、聖書の中心となるメッセージを明確にすることと、その構造を明らかにすることが目的だから。

しかし、だからそれは全くの空想であるというわけではなく、神話もまた歴史的事実を元にして形成されている。
エデンの園、ノアの洪水、バベルの塔なども、それぞれにモデルとなった場所や出来事があったことが分かっている。

時間の関係で細かく話すことはできないが、伝えるべき聖書のメッセージを明確にしながら、歴史的な背景に関してもざっくり解説しておきたい。

カインとアベル

創世記4章では、罪人になった人々の悪が増していったという話。
創世記1-3章とノアの洪水を繋ぐ役割を果たしている。

単に穀物を捧げた兄カインと、育てた中でもっともよいものを捧げた弟アベル。
神はアベルの心を喜び、カインの心を受け取らなかったので、カインはアベルに嫉妬して、弟アベルを殺してしまう。
カインはその罰を受けて神の祝福を失い、遠くの地へと追放されてしまう。
祝福を失い、追放されたのはアダムとエバの時の状況と重なっている。
ここにはイスラエルの人々が持っていた価値観が反映されていて、幕屋の中心にある至聖所がもっとも聖なる場所であり、至聖所から聖所、聖所から幕屋内、幕屋内から幕屋の外に行くほどに汚れた存在となっていく。
アダムとエバは聖なる場所を追い出されて、カインはさらに神から離れた存在となった。

追放された時、カインが迫害を恐れているが、その人々は誰なのかという矛盾が起こる。
しかしこの物語は、罪が深まり神から離れていくという構造が大切なのであって、文字通りの事実であるかどうかは問題ではない。
そして罪の拡大の構造は、さらに次の世代へと広がっていってしまう。

アダムは罪を後悔し、痛みを感じた。
カインは弟を殺すほどの罪を犯したが、開き直って罪を認めなかった。
その子孫であるレメクは、罪を犯すことを恐れず、むしろ誇るような存在となってしまった。「カインに七倍の復讐があるなら、レメクには七十七倍」(創世記4:24)
こうして罪は瞬く間にその重さを増していき、大きく広がっていったのである。

ここで、聖書は古代オリエントでは常識だったある習慣に触れている。
それは、一夫多妻制という制度である。
一夫多妻制は、古代の社会では常識的なことだった。
経済力と生活力を持っている男が、たくさんの子孫を残すことは、生物学的に考えても普通のことだと考えることもできる。
しかし聖書は、一夫多妻制に関して否定的な価値観を示している。
エバはアダムの半分であり(あばらから取られたという言葉のもう一つの意味)、二人が一つとなるのが結婚なのである。

罪の拡大の結果としてレメクから一夫多妻が始まり、汚れた人々の中には必ず性的な乱れが描かれている。

ネフェリム(巨人)

6章に出てくる、「神の子らが人の娘たちと交わり、ネフィリムが産まれた」という話も、一夫多妻に関する話だという見方がある。
ここで「神の子」と翻訳されている言葉は、「支配者たち」とも理解することができ、民衆の娘たちとの間に子供を作り、その子供たちがネフィリム(堕ちた者の意味)と呼ばれるようになった。
しかし彼らは勇士となり、名のある者たちとなったというのは、聖書の全体像としてもつじつまが合うように思える。

他にも、誰かが一人以上の妻を持つときには必ず問題が起こり、そのことが彼らを苦しめる様子が描かれている。
一夫多妻は神さまの心から外れているというのが、聖書の中で示される神の価値観なのである。

洪水

そして罪が世界中に満ちた時、洪水の裁きが下される。
『そこで、【主】は言われた。「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。」(創世記 6:3)』のことばは、人の寿命が120歳までになったという理解より、「これから120年後に人類を滅ぼす」と理解する方が、この当時の他の書物の描かれ方と一致している。

さて、このようにして「【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。(創世記6:5)」という状況になり、洪水の裁きが起こることになった。

洪水は、人類の裁きと救いが象徴されている出来事。
この洪水が「文字通り」全世界的なものなのか、実際には局地的な洪水だったのかはそれほど問題ではない。
当時の著者たちにとって全世界レベルの洪水であったことは確かだろう。

ノアの話で驚くべきことは、方舟のサイズとバランス。
3階建てに作られた方舟は確かに大量の動物を運ぶことができるサイズがあっただろうし、バランスは30:5:3という現代のタンカーにも使われる船のバランスの黄金律である。
当時存在したのは小さなボートばかりだし、タンカーのような船は近代になるまで存在しなかった。
このバランスが最大の積載量で船のバランスとして最善のものだということがわかったのはこの100年くらいのことだったと考えると、聖書にこの縮尺が出てくるのはミステリーとしか言いようがない。

バベルの塔

バベルの塔は、現代の多くの人たちが考えるような円筒型のものではなく、ジッグラトと呼ばれるピラミッド状の建物だったと考えられる。
ジッグラト自体に宗教的な寺院の用途はなく、天と地を繋ぐものとして造られたものであったと見られている。
自分たちが神に届く道を作り、神に届こうとしたのである。

聖書はこれもまた神に背く行動として見ている。
人々は「増えて地に満ちるように」と願われた神に背き、散らされないように一つの場所に集まり、名を上げるために天に届く塔を建てた。
そして神の怒りを買い、散らされたという。
しかし、これも聖書の記述のように全人類が一つの場所に集まっていたというのは考えにくい。
歴史上実際に起こった出来事をモデルにして、伝えられるべきメッセージ性を強調したものとして作られたのだろうと考える。

それを考えた時、私たちは、「教会」をバベルの塔にしてはならない。世界中に福音を届けることを忘れ、教会に閉じこもり、名を上げるために大きな教会堂を建てることはバベルの塔のようではないだろうか?

ソドムとゴモラ

本来なアブラハムの話しの中で紹介されるべきソドムとゴモラの話だが、おもしろい話なのでこのことだけ先に話しておきたい。
ソドムとゴモラは、その罪が大きくなって炎と硫黄によって滅ぼされた町。
アブラハムの甥にあたるロトが住んだ町だった。
長い間、ソドムとゴモラの場所は分からないままになっており、本当に起こった出来事だったのかどうかもわからないとされていた。
しかし2015年、ソドムについて調査を行っていたアメリカの考古学者によって、ついにソドムだったのではないかという場所が特定された。
死海の北部、ヨルダン川が流れ込む辺りにあったトルエルハマムと呼ばれる場所に、高熱で砂がガラス化した町の遺跡が発見されたのである。

その場所は、アブラムとロトが別れ、ロトが選んだと思われる方向とも一致し、大きな破壊が起こった時代もアブラハムの時代と一致したのである。
火山も近くにないその地域でそのような高熱で大規模の火災があった原因について、学者たちは隕石の空中爆発があったのではないかと推測している。
1908年、ロシアでもツングースカ大爆発と呼ばれる隕石の空中爆発があり、広い規模で森林が消失したことが知られている。
突然滅びたこの町は、その後鉄器時代のころまで完全に放棄され、誰も住む者はなかったようである。

12章以降

創世記1-11章の表記と、12章以降とでは聖書の記事のディティールに大きな差がある。
創世記11章までは神話的な内容となり、出来事の正確さや細かい説明が少ないが、12章以降ではアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフたちに焦点が当てられて、細かい記述を見ることができる。

伝承によれば、創世記はモーセによって書かれたモーセ5書と呼ばれるものの一つである。
つまり、創世記に登場する人たちや、彼らを直接知る人々によって記されたものではないということになる。
しかし、当時の文化をよく理解して記されている部分が多く、作り話ではなく、何らかの方法で情報が伝達されてきたことがわかる。

父祖たちの時代

アブラハム以降の物語は奴隷となっていたイスラエルの人々にとって、自分たちは最初から奴隷だったのではないということの証であり、自分の祖先を知ることによって民族としてのアイデンティティを回復する大きな役割を果たすものだったはずである。
神から選ばれ、神の声を聞き、それに従って歩み始めたアブラハムから始まる小さな家族を、400年経って大きく増え広がったイスラエルは「父祖たち」「族長」と呼んで尊敬した。

特にアブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教3つの宗教から「信仰の父」と呼ばれている人物。
アブラハムとは、「多くの者の父」という意味であり、歴史を通してまさに名前が表わす通りに扱われている人物である。

聖書の記述によれば、アブラムはカルデアのウルからカナンまで旅をし、エジプトにまで行ったと言われている。
土地を持たず遊牧民として生活していたことがわかる。
青銅器時代中期(BC1800年ごろ)にはこのような人々が他にもいたことが分かっていて、聖書の記述を裏付けるような習慣がたくさん見つかっている。
当時の文化や習慣が分かるにしたがって、聖書の記述の意図や意味もより深くわかるようになってきた。

・ 子どもの結婚相手を養子として引き取り一緒に育てるという習慣があった(アブラムは妻サライを妹と呼んでいる個所がある。)
・ 財産を相続する子どもがない場合にはしもべが相続することができる。(創世記15:2)
・ アブラハムはサラを葬るため、洞窟を購入したが土地は買わなかった。(ヒッタイトの法律では、土地を所有していれば税金を支払わなければならないがその土地にある洞窟だけの所有なら納税義務が発生しないことが記されている。)
・ 相続権が誰にあるかを明確にするため、代々伝わる偶像を家に飾る習慣があった。世ヤコブたちがラバンの元を去る時、ラケルがテラフィムを持ち出した理由はまさにここにあったのかもしれない。

他にも、モーセの時代に書かれたという割には食べ物や偶像崇拝に関して後の時代に律法で決められたことを悪いこととして描いていないことがあるなど、アブラハムの時代背景と一致した記述が数多くみられる。
モーセによって書かれたと言われる創世記だが、ただ思い付きで書いたとは到底考えられないほどに、時代背景と一致し、つじつまが合っている。
11章までの記述が神話的に描かれて歴史的な記録としては正確さに欠けていたのに比べて、12章以降はかなり正確に出来事を捕らえていることがわかる。

契約の文化

多民族が集まるメソポタミアの文化の中で、「契約を結ぶ」ということは大切な事だった。
互いに信頼することが困難だからである。

そこで、旧約聖書では神との関係の中でも「契約」が重要視されている。

長子の権利と神の選び

さて、古代メソポタミアの社会で、長子は特別な存在として扱われていた。
財産を全て長男が相続するなど、あらゆる面で優遇された。
創世記の物語の背景にも、この文化の影響下にあり、「誰が長子なのか」ということが重要なこととされていた。
アブラハムの孫にあたるエサウとヤコブの物語では、2番目に産まれたヤコブが嘘をついてまで、双子の兄であるエサウから長子の権利を奪っている。

しかし創世記の中で描かれているのは、神さまの選びがそれとは逆になっていること。
アダムと息子たちであるカインとアベルでは、兄のカインではなく弟のアベルの捧げものが選ばれたため、兄が弟を殺すという罪を犯した。
アブラハムが最初に授かった子供はイシュマエルだったが、妻サラとの間に授かったイサクに神の選びはあった。
イサクが最初に授かったのはエサウであるはずだったが、神の選びは弟のヤコブにあった。
ヤコブは12人の男の子を授かったが、11番目の息子ヨセフの2人の兄弟の内の弟が長子として祝福を受けることとなった。
また、子孫の中から救い主が生まれるという選びも、長男ではなく4男であるユダから。

このように「長子だから優遇される」という世の中の価値観とは違う神さまの選びがある。
神さまの選びは弱い立場の人々の上に来るようになっている。
神さまの恵は水のように、高いところから低いところに流れていくのである。

それは、そのままイスラエルという民族の選びのイメージと重なる。
イスラエルが神から選ばれたのは、イスラエルが優れているからでも、正しい人たちだったからでもない。
アブラムという、年老いても子孫が生まれない、小さく弱々しい人の上に神さまの選びがあったのである。

私たちも同じ。
私たちが神の恵みと憐みによって選びを受け、クリスチャンとなったのは、私たちが偉かったからでも素晴らしかったからでもない。
弱く小さい者だったからに他ならない。

1コリント 1:26 兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
1:27 しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。
1:28 有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。
1:29 肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。

 

ヨブ記(本編にはないおまけ)

最後に、創世記と同じくらいの時代について描いているヨブ記について触れておきたい。
ヨブ記がいつ誰によって書かれたかは謎とされているが、古くからイスラエルの人々に伝えられてきたものである。
律法に関して触れられていないことから、出エジプトよりも前の時代、場合によっては創世記よりも前に書かれていた可能性もある。

ヨブ記に関しては書かれた年代について意外歴史的な側面から語る部分はないが、律法が与えられる前に神さまの価値観が示されている大切な話である。
現代のクリスチャンにとっても大切なメッセージが込められている物なので紹介しておきたい。

ヨブ記が私たちにとって難しいのは、善人だったヨブに悪魔の試練が与えられ、神さまがそれを許された部分だろう。
ヨブ記の最初の部分だけを見ていると、実際に正しく、神を恐れて礼拝をしていたヨブに悲劇が立て続けるのを見ていると、確かに大きなショックを受けてしまうかもしれない。

しかし、ヨブが友人たちと話している中で明らかにされていくのは、ヨブは自分の正しさばかりを主張していて、神さまとの関係は希薄だということ。
ヨブの正しさの正体は、自分の力や努力による道徳的な正しさだったのである。
神への信仰も熱心ではあったが、それは宗教的な熱心さでしかなかったことが明らかになっていく。

「行いや道徳の正しさによって良いことがもたらされる」というのがこの世界の価値観。
それは、メソポタミアの社会も現代の社会も同じである。
私たちクリスチャンも、容易くその価値観に呑み込まれてしまう。
だからヨブ記を読んで混乱してしまうのだ。
しかし福音が私たちに教えているのは、ただ正しい生き方をすれば報いが与えられるということではない。
大切なのは神さまとの関係であり、神さまを求めることなのだ。

ヨブと同じように、聖書の中で「正しい人」として認識されていたノアは、「神とともに歩んだ」とも記されている。

創世記 6:9 これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

ノアやヨブに比べれば道徳的に堕落し、問題をたくさん持っていたダビデ王は、しかし神との関係が深かったために、神に愛される王となった。
神との関係こそ、神が最も私たちに求めていることだからである。

ヨブ記の終盤、ヨブはついに神と対話し、神のことばを受け取る。
それは、人の正しさなど、神の正しさの前には塵に等しいということだ。
しかしヨブは神と初めて出会い、会話し、その心を受け取って悔い改めた。

ヨブ42:5 私はあなたのことを耳で聞いていました。しかし今、私の目があなたを見ました。
42:6 それで、私は自分を蔑み、悔いています。ちりと灰の中で。

ヨブは正しい人だったにも関わらず、悪魔の試みを受けた。
それは、ヨブが最終的に神と出会うためだった。
これが必要だったからこそ、神は悪魔がヨブを試みることを許し、悲劇を体験させたのだ。
それはヨブにとって必要な痛みだった。
私たちは痛みを通してしか悟ることのできないことがある。

罪や放蕩はそれ自体が痛みの源となるので、方向転換して神に向かいやすい。
しかし、自分の正しさを土台とし、宗教にも熱心な人が悔い改めることは難しい。
それは私たちにとって、最も危険な時なのである。

さて、イスラエルに律法が与えられるよりも前に、このような話しが伝えられていたということはとても興味深い。
出エジプトの時代に与えられることになる律法は、このような福音的価値観の土台の上に置かれた上で与えられているのだという事を考えると、律法の意味や受け取り方が変わってくるのではないかと思う。
次回はそんな出エジプト記から話をしていきたい。

一神教と多神教

アブラハムのことについて語られることの一つに「一神教の確立」という言葉がある。
多神教の文化の中で、アブラハムの時から一神教が確立したというのである。
それはある意味において事実ではあるが、私たちはその意味を誤解しているかもしれない。

一般的に、多神教とはその宗教体系に多数の神を持つことを意味している。
多くの場合は神話として伝えられ、神々の戦いや恋愛が描かれ、自然の驚異と重ねて解釈され、「神々の中の誰にお願いするか」という形で宗教が実践される。
主体は信仰する人の側にあって、神はその願いを叶えてもらうための媒体である。

それに対応する意味合いにおいての一神教とは、世界を統べるのが神々ではなく、一人の神であるというだけである。

誤解が見られるのは、「多神教は寛容であり、一神教は心が狭い」という言葉。
ある宗教が他の宗教の考え方や物語を取り入れて自分たちのものにするのは、単なるパクリであって寛容さではない。

聖書を読めばわかることだが、侵略したり相手の価値観を否定することは、一神教だろうと多神教だと関係なしに行われている。
また、現代人が信仰に関して寛容なのは単に無関心だからというだけのことで、自分の価値観やイデオロギーの違う人に対しては少しも寛容ではない。
場合によっては、あるグループの人たちに対して寛容であるという名目のもとに、その考え以外の人たちには全く寛容ではないということが当たり前のように起こっていて、本人は自分が寛容ではないことには気づいていないことがほとんどである。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に見られる不寛容に見える行動は、彼らにとって信仰と自分のアイデンティティを切り離すことができないほどに大切なものであるということ。
宗教や信仰に関心がない人たちにはそれが理解できないので、一神教に対して不寛容になっているのだ。
自分が真剣に向き合っていることに関して、それ以外の価値観に不寛容になるのは普通のことなのだと思う。

しかし、多神教を信じる人たちの多くは、「多神教は寛容だけど、一神教は心が狭い」という本来の意味合いとは関係のない部分で多神教と一神教を捕らえているようである。

「多神教は寛容だ」という言葉が意味することを分析してみると、それは「他の信仰も受け入れるからだ」と主張されるが、それは全く事実ではない。
歴史の中で起こっているのは、
「自分たちの宗教観が正しくて、おまえは間違っている」という姿勢は変わらない。
そこにあるのは一神教と多神教ではなく、一宗教主義あるいは一イデオロギーイズムだ。