旧約聖書編4:王の時代 サムエル記~列王記/歴代誌
サムエル記から歴史的な記述はさらに明瞭なものになっていく。
旧約聖書の中でも最も読みやすい部分のひとつ。
サウルやダビデ、ソロモンなどが存在した証拠もほとんど見つからず、ダビデ王は聖書の中のアーサー王と呼ばれるほど、伝説上の存在だったのではないかと言われることもある。
考古学的な発見としては、聖書に記述のある町が見つかったりはするものの、サウル、ダビデ、ソロモンたち個人の存在を直接証明するような発見はなく、この時代のことで新たに判ったことはほとんどない。
とは言え、聖書の記述は比較的正確にイスラエルの歴史を記録しているものと考える。
目次
最後の裁き司サムエル
サムエルの出番はあまり多くないが、重要な役割を持っている。
祭司、預言者、そして裁き司。
士師記の流れから、最高で最大の裁き司として登場する。
その立ち位置は、最後の預言者として登場したバプテスマのヨハネと少し似ている。
サムエル記は、サムエルが書いたものではない(サムエルは途中で死んでしまう)。
サムエルが書いたのは、士師記とルツ記だと言われている。
裁き司として、サウルとダビデという二人の王の任命と関わり、彼らの王としての歩みを見てきたサムエルは、士師記とルツ記の中に二人の王の姿を見たのではないか。
神の選びを受けながら神から離れ、自己中心的に生きた士師記の時代のイスラエルや裁き司たち。
サウル王は、まさにその後継者と言える。
一方で、神に従い、神とともに歩んだダビデは、異邦人でありながら神とともに生きる道を選んだルツの子孫として生まれてくる。
私たちはどちらの生き方を選ぶか?
人々が求めた王サウル
1サムエル 8:5 彼に言った。「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」
イスラエルの王は神であるはず。
しかし、神はイスラエルのために王を選ぶようにサムエルに命じた。
1サムエル 8:7 【主】はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。
申命記の中でも、モーセはこのような言葉を遺していた。
申命記 17:14 あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられる地に入って行って、それを占領し、そこに住むようになったとき、あなたが「周りのすべての国々と同じように私も自分の上に王を立てたい」と言うなら、
17:15 必ず、あなたの神、【主】が選ばれる者をあなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない異国人をあなたの上に立てることはできない。
そこで王として選ばれたのはサウルである。
サウルは、たくましくて美しく、王として相応しいように思えた。
1サムエル 9:2 キシュには一人の息子がいて、その名をサウルといった。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。
サウルは、確かに神さまに王として選ばれた人物だった。
サウルは能力としても、リーダーシップとしても申し分のない力を持っていた。
しかし、サウルは2つの問題を起こしてしまう。
失敗 ① いけにえを自分で勝手に捧げた
ペリシテ人との戦いの際、サムエルが必ず自分が生贄を捧げに来ると約束していたが、期日以内に来なかったためにサウル王は待つことができず、自分自身で生贄を捧げてしまった。
1サムエル 13:13 サムエルはサウルに言った。「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、【主】が命じた命令を守らなかった。【主】は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
13:14 しかし、今や、あなたの王国は立たない。【主】はご自分の心にかなう人を求め、【主】はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。【主】があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ。」
失敗 ② 聖絶のものを自分のものにした
アマレク人との戦いの際、サウルは全て聖絶するように命じられていた。
つまり、全てを燃やしてしまい、何も自分のモノにしてはいけないということ。
しかしサウルは、戦勝品をもったいないと思い、生贄に捧げるためという言い訳をして聖絶しなかった。
1サムエル 15:21 兵たちは、ギルガルであなたの神、【主】にいけにえを献げるために、聖絶の物の中の最上のものとして、分捕り物の中から羊と牛を取ったのです。」
15:22 サムエルは言った。「【主】は、全焼のささげ物やいけにえを、【主】の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
サウルは、選ばれた自分の立場を自分のために使い、自分の力で、自分なりのリーダーシップを発揮してイスラエルの王となった。
これは当時の世界の王としては当然ではあったけれど、イスラエルの王としては正しい姿ではない。
イスラエルの王はあくまでも神さまご自身であり、神さまに聞き従うものでなければならないからだ。
サウルは自ら神さまに背き、離れ、神さまの護りと祝福を失うこととなった。
その結果、それ以降のサウルは悪霊に悩まされることとなる。
そして、神さまの祝福は次の王として選ばれたダビデの上に注がれたのである。
サウルが神さまの心に従い、その王位をダビデに渡していれば、サウルは余生を幸せに過ごすことができたかもしれず、その子ヨナタンはダビデの友として仕えることができたかもしれない。
しかしサウルは自らの王権にしがみつき、最後はペリシテ人たちに殺されることになった。
サウルの子ヨナタンもその戦いで命を失い、ダビデと共に歩むことはできなくなった。
ペリシテ人とは誰か?
聖書には「ペリシテ人」と呼ばれる人々が出てきて、イスラエルを苦しめていた。
ペリシテ人はエーゲ海を中心に活動していた「海の人(エジプト語で海の人“パレセット”という言葉がペリシテ)」と呼ばれるミケーネ文明を築いた民族であり、アフリカやギリシアの島々に侵入しては、活動の地域を広げていた。
ミケーネ文明を築いた人々はBC1500年ころからギリシアに古代文明を築いたがドリス人の侵入によって滅ぼされたとされている。
ペリシテ人のカナン侵入はBC1200年頃と言われているので、ドリス人から逃れた人々が移住地でペリシテを築いたと考えれば辻褄が合う。
BC1200年頃と言うと、ヨシュア記から士師記の時代。
創世記などに「ペリシテ人」という名前の表記が出てくることは、聖書が書かれた時代では、この地域にペリシテ人と呼ばれる人々が住んでいたという認識があった時代ということになる。
聖書の元となる書物や伝承はずっと以前からあったが、はっきりと編纂されたのは捕囚時代だったということを考えれば特に不思議はない。
真の王ダビデ
サウルとダビデの違いはかなり明確に描かれている。
サウルが自分の判断に従って行動していたのに対して、ダビデは多くの場合神さまに尋ねている描写が出てくる。
また、「【主】がダビデとともにいた」という言葉もたくさん出てくる。
そして、バテ・シェバの出来事など、彼が失敗するときには神さまに尋ねていないことがわかる。
2サムエル 7:8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。『万軍の【主】はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。
7:9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名をあなたに与えてきた。
これこそ、神さまがダビデと結ばれた新しい契約である。
すぐに神さまから離れてしまったサウルと違い、ダビデはその生涯神さまとともに歩み続けた。
罪に陥ってしまう時でさえ、何度も悔い改め、神さまに立ち返った。
そしてダビデは、神に最も愛されたイスラエルの王となった。
ダビデは優れていたから、正しい人だったから、失敗をしなかったから神に愛されたのではない。
例え神から離れ、失敗することがあってもすぐに立ち返り、神と共に歩もうとしたからだ。
私たちがダビデから学ぶべき部分があるとしたら、それは神さまとの関係である。
ダビデの年表
前1040年(1歳)ユダ地方のベツレヘムにて、羊飼いのエッサイの息子として生まれる。
前1027年(13歳)悪霊に憑かれたサウル王を癒す目的で、竪琴の名手として雇われる。
前1021年(19歳)ペシリテ人の勇者ゴリアテを討ち、一躍名声を上げる。このときサウルの娘・ミカルと結婚する。
前1020年~前1010年(20~30歳)ダビデの人気に嫉妬したサウルに命を狙われ、逃亡生活を強いられる。
前1010年(30歳)サウルが死亡したことにより、ダビデがユダ地方の王に即位する。
前1003年(37歳)ペシリテ人からエルサレムを奪還し、イスラエルの王となる。
前998年(42歳)ペシリテ戦争にて、長年の宿敵だったペシリテ人に勝利。イスラエル全域を手中に収める。
前993年(47歳)中央集権君主制の確立や、傭兵部隊の強化で王国を繁栄へ導く。
前990年(50歳)この頃から子供を儲け始め、合計11人の子を含む家族での生活が始まる。三男アブサロムの謀反などに苦しめられた。
前971年(70歳)四男アドニヤが王位を狙って反乱を起こす。これによりソロモンに王位を継承。その後老衰によって生涯を終える。
契約の箱
契約の箱は、イスラエルにとって神がともにおられることの象徴。
出エジプトの時代モーセが神さまから受け取った十戒と、アロンの杖、マナが入ったツボを収めた箱であり、みこしのように担いで運ばれた。
荒野をさ迷っていたころには幕屋の一番奥である至聖所に収められ、蓋についているケルビムの羽の間には主の臨在の輝きがあった。
契約の箱の中に収められている十戒は神さまの聖さに満ちていて、不用意に近づけば人は生きていることができない。
その十戒を覆うためにされている蓋を、「なだめの蓋」や「あがないの蓋」と呼ぶ。
それによって、人は契約の箱を運ぶために近づいても命を失うことはない。
しかしサムエル記の時代、エリの息子たちがペリシテ人との戦いのために持ち出し、逆にペリシテ人に奪われてしまうことになる。
しかしこの箱によって多くのペリシテ人たちが失うこととなり、契約の箱の所有を断念。
放棄されて、ベテ・シェメシュのヨシュアによって保管されることとなる。
ダビデが王になると、首都をエルサレムに定め、契約の箱をエルサレムに運ぶことになる。
車に乗せ、牛に引かせていたが途中で倒れそうになり、それを押さえようと手で触れたウザが命を奪われることとなった。
その3か月後、契約の箱の正しい運び方が分かり、契約の箱はエルサレムに運ばれることになった。
ダビデはそのためにエポデを身に着け、いけにえを捧げ、契約の箱の前で踊りながら箱と共に進んだ。
これは本来祭司の仕事である。
ダビデは王であると同時に、祭司の働きをした。
王であり、祭司である存在はこれまでにもいた。
サレㇺの王、メルキデゼクである。
ダビデはこの時、メルキデゼクの後継者としてかつてメルキデゼクが王であったサレㇺに入場した。
これは、次の王であり祭司である方、イエスさまへと続くメシヤのしるしである。
契約の箱は、それ自体が救い主を表す伏線でもある。
【契約の箱】
① 2サムエル 6:9 その日、ダビデは【主】を恐れて言った。「どうして、【主】の箱を私のところにお迎えできるだろうか。」
② 2サムエル 6:11 【主】の箱はガテ人オベデ・エドムの家に三か月とどまった。【主】はオベデ・エドムと彼の全家を祝福された
③ 2サムエル 6:14 ダビデは、【主】の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。6:15 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、【主】の箱を運び上げた。
④ 神殿に契約の箱に入れた時、聖霊が宮に満ちた。
⑤ 契約の箱にはマナ、アロンの杖、十戒の板の3つが入っていた。
【救い主】
① ルカ 1:34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
② ルカ 1:56 マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。
③ ルカ 1:44 あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。
④ ルカ 1:35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
⑤ マリアの中に宿った方は、新しいマナであり(ヨハネ6:35)、新しい祭司となる方であり(ヘブル2:17)、神のことば(ヨハネ1:1)である。
ソロモンの知恵
ソロモンは王になるにあたって、神様から特別な知恵を与えられた。
ソロモンの知恵について、聖書はこのように記している。
I列王記 4:32 彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もあった。
4:33 彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚についても語った。
4:34 ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た。
しかし、ソロモンの知恵の本質は膨大な知識やIQの高さにあるのではない。
大切なのはソロモンが求めていた内容にある。
I列王記 3:7 わが神、【主】よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。
3:8 そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。
3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
① 善悪の判断
② 民を裁くために聴き分ける心
が、ソロモンの知恵の本質だった。
ソロモンは知恵を神様から受け取り、それにしたがって行動する限りは神様からの知恵によってイスラエルを裁く事ができた。
しかし、ソロモンは神様からの知恵ではなく、徐々に自分の知恵や、この世の知識に頼るようになっていく。
ソロモンの神殿
I列王記 6:1 イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは主の家の建設に取りかかった。
神殿の大きさ:
それぞれ長さ26.7m、幅が8.9m、高さが13.3mという細長く、3階建てから4階建てくらいの高さがある建物。
神殿は、拝む対象として存在するのではなく、ここに神様が住んでいるわけでもなく、神はイスラエルと共にあるという事を表すもの。象徴である。
その中心である至聖所には、神様の臨在が目に見える形で存在した。(シャカイナ)
『神殿は神様を納めきれるものではない』(8:27-53)と、ソロモン自身も考えていた。
人は罪を犯す。しかし、悔い改めるなら必ず赦して下さり、神はともにおられる。
その事を表すために、神殿は永遠に存続していくはずのものだった。
しかしソロモンも、彼の子孫たちも、ソロモンがそう祈り宣言したようには生きなかった。
その結果、ソロモンが建てた神殿は、500年と経たずに破壊されてしまった。
神殿建築における問題:
① 神殿は、ソロモンの徴用による、いわば強制労働によって行われた。
その際、ソロモンの出身であったユダは働きを免除されていた。(4:7-19)
② ソロモンは、神殿建設のためにかけた7年の倍に近い、13年をかけて自分の宮殿を建てた。(7:1)
ソロモンは、結局神様よりも自分の栄光を求めていた。
イスラエルの繁栄とソロモンの堕落
ソロモンの時代に全盛期には、たくさんの人々がイスラエルと交易をおこない、多くの人々がソロモンの知恵を求めて捧げものを携えてきた。
シェバの女王もそのひとり。
*シェバはどこにあったか?
アラビア半島のイエメンにあったサバ王国だったという説と、エチオピアにあったシバという説のふたつがある。
エチオピアのシバ王国は、サバからの移住によって始まったこと以外、年代も含めて分からないことが多い。
エチオピアの伝説では、シバの女王とソロモンの息子メネリク1世から王国が始まったとされている。
いずれにしても、サバ王国の歴史自体がソロモンの時代(BC970年からBC930年頃)まで遡ることができず、信ぴょう性は薄いとされている。
ソロモンの時代は、イスラエルの歴史上もっとも繁栄した時代。
彼はその知恵によって多くの国と交易を持ち、利益を上げていった。
ちょうどこの時代、アラブではらくだが家畜として用いられるようになり、交易がより盛んになったと言われている。
政治的には、積極的に他国と政略結婚をして、平和を築いた。
しかし、そのように神様に特別な祝福を受け、約束の子であるはずだったソロモンは、どうして祝福を失ったのだろうか?
① ユダだけは待遇を変えつつ、国民からは多額の税金を徴収し、強制労働をさせて国の事業にあてさせた。
この事は、後々まで大きな反発を国民に起こさせていた。
② 神様ではなく、祝福に目を向けるようになってしまった。
祝福は知恵の結果であり、おまけとして神様から与えられたもの。
神様から離れれば失ってしまうのは当然。
③ 神様の御言葉、約束をないがしろにした。
ソロモンは全盛期には年間20トンもの金塊を増やしていた。(I列王記10:14)
ソロモンはその金塊で200の大盾と、300の盾を作らせた。
周りの国々はソロモンの知恵にあやかりたくて、こぞってイスラエルに貢いだ。
失われていたエジプトとの交易も復帰し、馬や騾馬などたくさんの家畜や戦車が輸入されていた。
成功の象徴として、ソロモンの周りにはいつでもたくさんの女性の姿があった。
後宮には700人の妻と300人のそばめが控えていた。
しかし、ソロモンが生まれる400年以上前に書かれた申命記はこの様に教えている。
申命記 17:16 王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。
17:17 多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。
神様は、ソロモンに対して、この様に約束していた。
I列王記 6:12 「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行ない、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。
「神様の目的を歩み、定めを行い、全ての命令を守りこれによって歩みなさい。そうすれば、神様はイスラエルのただなかに住み、決して見捨てる事はしない。」
ソロモンは神様との約束をないがしろにしたために、祝福を失ってしまった。
④ 偶像に聴き従った。
ソロモンは神様の言葉ではなく、1000人の女たちの言葉に耳を貸した事によって祝福を失った。
I列王記 11:4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。
このようにして、ソロモンは神さまとの正しい関係の中で生きることができなくなっていった。
全てが空しいという言葉で始まる伝道者の書はソロモンが書いたと言われる。
伝道者の書はこの様に終わっている。
伝道者の書 12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
12:14 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。
これがソロモンの晩年に書かれたものだとすれば、ソロモンは最後には悔い改めたのかもしれない。
そう考えたとき、伝道者の書の「むなしい」と言う言葉はとても重みのある言葉に聞こえてくる。
ソロモンが、最後には悔い改めたのだとしたらいいなと思う。
しかし、失った祝福が返って来るわけではない。
ソロモンの後、イスラエルは南北に分裂し、一つの王国ではなくなってしまう。
それはソロモンの罪のためだと聖書には記されている。
