紀元1世紀の教会を訪れる(9)

休憩時間になると、フィロロギウスは、長女がこの集まりのためにささやかな献げものを用意したので、これからそれを披露したいと告げた。
夕食の時にこういう芸の披露がされるのはよくあることなので、私もこの申し出に驚くようなことはない。
部屋のあちこちから励ましの言葉がかけられた。
少女は立ち上がり、皆に見えるように壁際に移動した。

「私が作った歌を歌います」と、少女は言った。
「神さまがお造りになった、いろんなものについての歌です。」
そして彼女は、大胆に、純粋で澄んだ声で歌い上げた。

歌い終わると、みんな一斉に拍手喝采した。
他の子どもたちはより大きな拍手をし、アリストブルスは「ブラボー!」と声を上げた。

プリスカたちは妨げにならないように戸口のところで待っていたが、歌が終わるとデザートを持って入ってきた。
皿には、リンゴやぶどう、桃やイチジクなどたくさんの果物が乗っている。
ボウルの中で指をしっかりと洗い、テーブルナプキンで拭いて乾かすと、各自が好きなものを選んで手に取った。

目次

神さまが創造したものについての歌だった

この集まりが始まってから初めて、小さなグループに分かれての会話が行われている。(私の近くのグループでは、競技場での戦車レースの倫理性について議論していた。)
私は、この場にいる人たちが積極的にグループに関わっているのを見て、改めて考えさせられることになった。

これまで参加してきた食事会を考えてみると、空き時間を利用して手紙を書いたり、口述筆記をしたり、隣人と商談をしたり、時には料理の合間にうたた寝をしたりと、互いが周囲から切り離されていたと感じる。

また、このグループのメンバーは、食べ残しや飲み残しを床にこぼさないように気を配っていることにも気づいた。
もちろん少しは散らかるが、上品かつ許される範囲内のことで、巷で見かけるような不作法なやり方ではない(*2)。

とは言え、宗教的な観点から見るなら、この集会は私にとって大いに不満が残るものではあった。
私に理解できる限り、これまでの出来事には、宗教的な出来事はほとんど含まれていない。
祭司さえいなかったし、期待するような儀式的な言動も一切なかった。
だがもしかすると、もっと純粋に宗教的なものがこれから行われるのかもしれない。

彼らには祭司さえいなかった

食後のデザートが振舞われている間、私は再びアキラと話すことができ、ポントス時代の話の続きを聴くことができた。
彼は、過去に現地で経験したことや、今も繋がりを持っている人々について話し、私が投げかけた多くの質問にも答えてくれた。

しばらくすると、他の人が彼の関心を引いたので、私はアリストブルスと話をするために身を乗り出した。
彼がこのグループと関わるようになったきっかけを語り始めるのに、さほど長くはかからなかった。

以前から彼は、先祖伝来の宗教に疑問を感じていたようだ。
そして長い間、ユダヤ人が一神教的を強調する姿勢や道徳観に感銘を受け、ある日シナゴーグに忍び込んだ。
そこで彼は、これまでのものに代わる本物を見つけたのである。

ユダヤ人に感銘を受けたアリストブルス

とは言え、彼は完全にユダヤ教徒に改宗したというわけではない。
食事規制や割礼などの(私にはかなり野蛮に思える)慣習があるため、一気に深入りすることはできなかったのだ。

友人たちの間では、シナゴーグとのつながりのことも内緒にしていた。
妻は、彼がユダヤ教に興味を示したことに強く反対した。
しかし、自分の社会的立場と政治的忠誠心に疑問を持たれないために、誰にも口外することはなかった。

その後彼は、アキラとプリスカに出会い、この集まりに参加するようになったというわけだ。
しかし、彼は奴隷を納得させることはできても、自分の妻を説得することは未だにできていなかった。

(つづく)

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【訳注】*2:当時のローマの文化では、食べ残しを床に落として犬に食べさせるのが普通の習慣だった。それを片付けるのは奴隷の仕事である。