32日目 出エジプト記7~9章:神さまの裁きとファラオのかたくなな心

神はモーセを通してイスラエルの民を救い出そうとされます。
しかしファラオは神のことばを拒み続けました。
そこで神はエジプトに災いを下し、ご自身こそがまことの主であることを示されます。
聖書全体の中での位置づけ
出エジプト記4〜6章では、神がモーセを遣わし、ご自身の契約を思い起こして民を救うと約束されました。
7〜9章では、その約束を実現するための具体的な行動が始まります。
災いは単なる罰ではありません。
イスラエルを救うため、そしてエジプトと世界に神の力を示すための出来事でした。
出エジプト記7章:ナイル川の災い ── 主であることを知らせる神
モーセとアロンは再びファラオの前に立ちます。
アロンの杖は蛇となり、神の権威が示されました。
しかしファラオは心をかたくなにします。
そこでナイル川が血に変えられ、エジプト全土に最初の災いが下りました。
それでもファラオは耳を傾けようとしませんでした。
出エジプト記8章:かえる、ぶよ、あぶ ── 区別される神の民
神は続いて、かえる、ぶよ、あぶの災いを送られます。
エジプトは混乱に陥りますが、イスラエル人の住むゴシェンの地は守られました。
神はご自身の民を覚え、区別しておられることを示されたのです。
それでもファラオは、一時的に心を動かされながらも、最終的には従いませんでした。
出エジプト記9章:家畜の疫病、腫れ物、雹 ── 神の力の現れ
さらに家畜の疫病、腫れ物、雹の災いが続きます。
特に激しい雹は、神の支配が天地に及んでいることを示しました。
ファラオは一時、「私は罪を犯した」と認めます。
しかし災いが去ると再び心をかたくなにしてしまいました。
表面的な後悔と真の悔い改めの違いがここに描かれています。
神さまの働きとメッセージ
出エジプト記7〜9章には、神の正義と忍耐が表されています。
神はすぐに最終的な裁きを下されたのではありません。
何度も警告を与え、悔い改める機会を与えられました。
しかしファラオは神の前にへりくだろうとしませんでした。
人の心は、神に向かう時には柔らかくなります。
しかし自分自身を中心にする時、次第にかたくなになっていきます。
私たちも苦しい出来事や神からの語りかけを経験することがあります。
その時、神に立ち返るのか、それとも自分の思いに固執するのかが問われます。
神の裁きは滅ぼすことだけが目的ではありません。
人々をご自身へ立ち返らせるための愛の警告でもあるのです。
そして最終的に神は、イスラエルを奴隷状態から救い出されます。
それは、罪の奴隷であった私たちを救うイエス・キリストの働きを指し示しています。
神は救いを与えようと忍耐して語りかけられます。しかしその声に応答するかどうかは私たちに委ねられているのです。
考えてみよう
- 私は神の語りかけに素直に応答しているでしょうか。
- ファラオのように心をかたくなにしている部分はないでしょうか。
- 神が与えてくださっている警告や導きを軽く見ていないでしょうか。
- 表面的な反省ではなく、真の悔い改めをしているでしょうか。
- 神がご自身の民を守ってくださることを信頼しているでしょうか。
- 試練の中で、神が何を教えようとしておられるのかを考えているでしょうか。
- 神の忍耐とあわれみに、どのように応答したいでしょうか。

