44日目 レビ記1~4章:いけにえと赦しのしくみ

幕屋が完成し、神の栄光がその場所を満たしました。
しかし一つの問題が残されています。
聖なる神が民の中に住まわれるなら、罪を持つ人間はどのようにして神に近づくことができるのでしょうか。
レビ記は、その問いに答えるための書物です。
そして最初の4章では、神との交わりと赦しのために与えられたいけにえの制度が説明されます。
聖書全体の中での位置づけ
出エジプト記の最後で、幕屋は完成しました。
しかし神の栄光が満ちたため、モーセでさえ自由に入ることができませんでした。
レビ記では、聖なる神の前に罪ある人が近づくための道が示されます。
それはいけにえと祭司による仲介でした。
この制度は後にイエス・キリストの十字架によって完成される救いを指し示しています。
レビ記1章:全焼のささげ物 ── 全てを神にささげる礼拝
全焼のささげ物は、動物を完全に焼き尽くして神にささげるいけにえでした。
礼拝者は動物の頭に手を置き、自分といけにえを重ね合わせます。
その後、いけにえはすべて神にささげられました。
これは神への献身と完全な明け渡しを表しています。
レビ記2章:穀物のささげ物 ── 感謝の献げ物
穀物のささげ物は、収穫の恵みに対する感謝を表すものでした。
動物ではなく、穀物や油、乳香がささげられます。
神は人の生活を支えるすべての恵みの源であることが示されています。
礼拝とは感謝の応答でもあるのです。
レビ記3章:交わりのいけにえ ── 神との平和
交わりのいけにえは、神との平和と交わりを喜ぶためのささげ物でした。
いけにえの一部は神に、一部は祭司に、そして一部は礼拝者自身に与えられました。
これは神との食卓の交わりを象徴しています。
神はご自身の民との関係を喜ばれるお方です。
レビ記4章:罪のためのいけにえ ── 赦しのための備え
人が気づかないうちに罪を犯した場合にも、神は罪を軽く見過ごされません。
そのため、罪のためのいけにえが定められました。
祭司や共同体の指導者、一般の民など、それぞれに応じた方法で罪の赦しが与えられます。
神は聖なるお方ですが、同時に赦しの道を備えてくださるお方です。
神さまの働きとメッセージ
レビ記1~4章は、神がどれほど聖なるお方であり、同時にどれほど恵み深いお方であるかを教えています。
神は罪を見過ごされません。
だからこそ、罪には贖いが必要でした。
しかし神は人を滅ぼすためではなく、赦すためにいけにえの制度を与えられたのです。
これらのいけにえは、それ自体が最終的な解決ではありませんでした。
それらはすべて、後に来られる完全ないけにえであるイエス・キリストを指し示していました。
キリストは全焼のささげ物のようにご自身を完全に父なる神にささげられました。
また罪のためのいけにえとして十字架で死なれました。
さらにキリストによって、私たちは神との平和と交わりを持つことができます。
レビ記は難しい儀式の書のように見えます。
しかしその中心には、「聖なる神が罪人を受け入れるための道を備えてくださった」という福音があります。
神は聖なるお方です。しかし同時に、罪人がご自身のもとに来ることができるよう、赦しの道を備えてくださるお方なのです。
考えてみよう
- 私は神の聖さをどれほど真剣に受け止めているでしょうか。
- 神に感謝をささげる生活をしているでしょうか。
- 自分自身を神にささげて生きているでしょうか。
- 神との平和と交わりを喜んでいるでしょうか。
- 罪の深刻さと、神の赦しの大きさを理解しているでしょうか。
- イエス・キリストが私のための完全ないけにえとなってくださったことを感謝しているでしょうか。
- 今日、神にどのような感謝と献身をささげることができるでしょうか。


