249日目 エゼキエル書32~34章:エジプトの嘆き、見張り人の務め、そして羊飼いなる神さまの回復

32章:エジプトへの嘆きの歌 ― 大いなる国の没落
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神さまはエジプトに対して「嘆きの歌」を語らせる
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パロは大きなワニのようにナイル川にふんぞり返っていたが、 神さまは彼を網で捕らえ、地に投げ捨てると宣告
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エジプトの滅びは諸国に衝撃を与え、 多くの国々がその倒壊を見て震える
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エジプトは深い穴(よみ)に落とされ、 かつての強国アッシリア、エラム、メシェク、トバルなどと共に並ぶ
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神さまは、 どれほど強大な国であっても、高慢は必ず裁かれる という歴史の原則を示される
33章:見張り人の務めと、悔い改めへの招き
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神さまはエゼキエルを再び「見張り人」として立てる → 民に警告を与える責任が強調される
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見張り人が警告しなければ、民の血は見張り人の責任
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しかし警告したなら、聞くかどうかは民の責任
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神さまは語られる
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「わたしは悪人の死を喜ばない」
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「悪人がその道から立ち返って生きることを喜ぶ」
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エルサレム陥落の知らせが捕囚の地に届く → エゼキエルの預言が成就したことが明らかになる
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しかし民は、
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「アブラハムは一人でこの地を受けた。私たちはもっと多い」 と誤った自信を持っていた
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神さまは、 行いが伴わない信仰は無意味である と厳しく語られる
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エゼキエルの語ることばを「美しい歌」として聞くだけで、 行動に移さない民の姿が描かれる
34章:悪い羊飼いへの裁きと、良い羊飼いなる神さまの回復
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神さまはイスラエルの指導者(羊飼い)たちを告発
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自分を養い、羊を養わなかった
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弱い者を助けず、迷った者を探さず、傷ついた者を癒さなかった
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暴虐で羊を散らした
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神さまは宣言される
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「わたしは羊飼いたちを罰する」
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「わたし自身が羊を探し、世話をする」
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神さまは散らされた羊を集め、 良い牧草地に導き、休ませ、癒される
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また、 「ダビデのような一人の牧者」 を立てると語られる → メシア預言として理解される
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神さまは羊の間の争いにも介入し、 強い羊が弱い羊を押しのける不正を正される
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最後に、
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平和の契約
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守りと祝福
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地の回復 が約束される
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神さまは、 「あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の群れである」 と語り、深い愛を示される
これらの章が描くテーマ
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強大な国の高慢は必ず倒れる(32章)
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神さまは、警告を語る者と聞く者の責任を明確にされる(33章)
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悔い改めは神さまの願いであり、死ではなく命を求めておられる(33章)
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指導者の責任は重く、羊を虐げる者は神さまの裁きを受ける(34章)
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神さまはご自身が羊飼いとなり、民を回復へ導かれる(34章)
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メシアによる回復の約束が中心に置かれている(34章)
神さまの働きとメッセージ
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神さまは、歴史の大国をも裁かれる主権者
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神さまは、悔い改めを求め、命へ導かれる
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神さまは、真の羊飼いとして民を守り、癒し、導かれる
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神さまは、弱い者を顧み、強い者の不正を正される
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神さまの回復は、メシアを通して完成される
考えてみよう
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あなたの生活の中で、神さまが「見張り人」として求めておられる役割は何でしょう
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行動を伴わない信仰に陥っていないか、どのように点検できるでしょう
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神さまがあなたの羊飼いであることを、どのように日々味わえるでしょう
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弱い者を押しのけてしまう心を、どのように神さまの前に差し出せるでしょう

