使徒7章 ステパノの証しと最初の殉教
あらすじ
使徒6章の終わりで、ステパノは偽証によって訴えられました。
そして大祭司の前で、
「そのとおりなのか。」
と問われます。
そこでステパノは、アブラハムから始まり、ヨセフ、モーセ、荒野の時代、幕屋、神殿に至るまで、イスラエルの歴史を振り返ります。
しかしその説教の結論は単なる歴史解説ではありませんでした。
彼は、
「あなたがたはいつも聖霊に逆らっている。」
と指摘し、先祖たちが預言者を拒んだように、今の指導者たちも義なる方であるイエスを拒んだと語ります。
激怒した議会の人々はステパノを町の外へ引き出し、石打ちにします。
しかしステパノは、
「天が開けて、人の子が神の右に立っておられる。」
のを見ます。
そして最後に、
「主イエスよ、私の霊をお受けください。」
「この罪を彼らに負わせないでください。」
と祈って息を引き取りました。
その場には後に使徒となるサウロも立ち会っていました。
背景
使徒4章と5章では、使徒たちへの迫害が描かれました。
しかし彼らは鞭打たれても解放されていました。
使徒7章では状況がさらに進みます。
ここで初めて、福音のために命を失う殉教者が現れます。
しかしルカはこの出来事を敗北として描いていません。
むしろ、神の国の前進における重要な転換点として描いています。
なぜイスラエルの歴史を語ったのか
ステパノの説教は聖書の中でも最も長い説教の一つです。
その中心テーマは、
「神は神殿の中だけで働かれる方ではない」
ということです。
アブラハムはメソポタミアで召されました。
ヨセフはエジプトで守られました。
モーセはミディアンで召されました。
つまり神はいつも神殿の外でも働いておられたのです。
これは非常に重要な指摘でした。
なぜならステパノは、神殿中心の考え方に執着する指導者たちへ語っていたからです。
繰り返される拒絶
もう一つのテーマがあります。
それは、
神が送った人を神の民が拒み続けた
ということです。
ヨセフは兄弟たちに拒まれました。
モーセも最初は拒まれました。
預言者たちも迫害されました。
そして最後に、
「あなたがたは義なる方を裏切り、殺した。」
と語ります。
つまりイスラエルの歴史は、単なる成功の歴史ではなく、神の使者を拒んできた歴史でもあったのです。
「あなたがたはいつも聖霊に逆らう」
説教の結論でステパノは言います。
「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち。」
「あなたがたはいつも聖霊に逆らっています。」
非常に厳しい言葉です。
しかし彼は議会を攻撃したいのではありません。
悔い改めへ招こうとしているのです。
ペテロがペンテコステで、
「あなたがたが十字架につけた」
と語った時と同じです。
問題は知識の不足ではありません。
聖霊の語りかけに応答するかどうかなのです。
天が開けた
議会の人々が怒りに燃える中、ステパノは聖霊に満たされます。
そして言います。
「見なさい。天が開け、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
これは極めて重要な場面です。
イエスはルカ22:69で、
「人の子は神の力の右に座る」
と言われました。
今ステパノは、その約束が成就しているのを見ています。
十字架につけられた方は本当に主となられたのです。
「立っておられる」キリスト
特に興味深いのは、ステパノが見た主が
「座っておられる」
ではなく、
「立っておられる」
ことです。
聖書はその理由を説明しません。
しかし多くの人は、主がご自分の証人を迎えようとして立っておられる姿を見ることがあります。
少なくとも確かなことは、ステパノが一人で死んだのではないということです。
栄光の主が彼を見ておられました。
イエスに似た最後の祈り
石打ちの中でステパノは祈ります。
「主イエスよ、私の霊をお受けください。」
さらに、
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」
と言います。
これはルカ23章のイエスの祈りを思い起こさせます。
イエスは、
「父よ、彼らをお赦しください。」
と祈られました。
ステパノもまた同じように祈ります。
弟子は苦しみの中で主に似せられていくのです。
サウロの登場
章の最後で、
「サウロという青年がいた。」
と記されます。
彼はステパノを殺すことに賛成していました。
しかしルカはここで新しい人物を登場させます。
後の使徒パウロです。
興味深いことに、最初の殉教の記事の中に、最大の宣教者の物語の種がまかれているのです。
神の国は迫害によって止まりません。
むしろその中で前進していきます。
神の国とのつながり
使徒の働きはここまで、
- 聖霊降臨
- 教会の誕生
- 奇跡
- 迫害
を描いてきました。
使徒7章では、神の国の証しがついに殉教へ至ります。
しかしステパノは敗者として死んでいません。
彼は栄光の王を見つめながら死にました。
ここに神の国の価値観があります。
人間の目には敗北でも、神の前では勝利なのです。
この章が私たちに語ること
私たちは神に仕えるなら苦しみを避けられると思うことがあります。
しかしステパノは忠実でありながら迫害されました。
それでも彼は恐れませんでした。
なぜなら彼の目は人々ではなく、栄光の主に向けられていたからです。
またこの章は、神の働きに反対する人々さえも神が用いられることを教えています。
サウロは迫害者でした。
しかし後に使徒となります。
神の国は反対や死によって止まることはありません。
栄光のキリストが今も支配しておられるからです。
この章の中心メッセージ
ステパノはイスラエルの歴史を通して、人々が神の使者を拒み続けてきたことを示し、イエスこそ義なる方であると証言した。
そして栄光のキリストを見ながら最初の殉教者となった。
神の国は迫害によって止められることはなく、むしろその中で前進していく。
「見なさい。天が開け、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」(使徒7:56)
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」(使徒7:60)
「サウロはステパノを殺すことに賛成していた。」(使徒7:58、8:1)

