使徒14章 迫害と奇跡の中で進む宣教:弱さの中に現れる神の力

あらすじ

パウロとバルナバは第一回宣教旅行を続け、イコニオン、ルステラ、デルベへと進みます。

イコニオンでは会堂で福音を語り、多くのユダヤ人とギリシア人が信じました。

しかし同時に激しい反対も起こり、町は福音を受け入れる者と拒む者に分かれます。

それでも二人はしばらく留まり、

「主は、彼らの手によってしるしと不思議を行わせることで、ご自身の恵みのことばを証しされた。」

と記されています。

迫害が激しくなると、彼らはルステラへ向かいます。

そこで生まれつき足の不自由な人が癒されます。群衆は驚き、

「神々が人間の姿を取って私たちのところに下って来た。」

と言って、バルナバをゼウス、パウロをヘルメスと呼び、二人を礼拝しようとします。

しかしパウロとバルナバはそれを止め、

「私たちもあなたがたと同じ人間です。」

と言って、生ける神へ立ち返るよう勧めます。

やがてアンティオキアやイコニオンから来た反対者たちが群衆を扇動し、パウロは石打ちにされて町の外へ引きずり出されます。

人々は彼が死んだと思いました。

しかし彼は起き上がり、再び働きを続けます。

そして旅の終わりに各地の教会へ戻り、

「私たちは多くの苦しみを経て神の国に入らなければならない。」

と励ましました。

最後にアンティオキアへ帰り、

「神が異邦人に信仰の門を開いてくださった。」

ことを報告します。


背景

使徒13章では、パウロとバルナバが聖霊によって遣わされ、福音が本格的に異邦人世界へ向かい始めました。

使徒14章はその旅の続きです。

しかしこの章で際立っているのは、

福音の前進と迫害がいつも並行して進んでいること

です。

神の働きが進むところには実りもありますが、同時に反対も起こります。


イコニオンでの宣教

パウロたちはまずイコニオンで福音を語ります。

多くの人々が信じました。

しかし全員ではありませんでした。

福音は常に人々を決断へ導きます。

その結果、

「町の人々は二つに分かれた。」

とあります。

ルカ福音書でも、イエスの働きは常に歓迎と拒絶の両方を引き起こしました。

使徒たちの働きも同じです。


恵みのことばを証明される主

興味深いのは、奇跡の役割です。

ルカは、

「主は、しるしと不思議を行わせることで、ご自身の恵みのことばを証しされた。」(14:3)

と書いています。

奇跡が中心ではありません。

中心は福音です。

奇跡は福音を証しするためのしるしとして与えられているのです。


ルステラでの癒し

ルステラでは、生まれつき足の不自由な人が癒されます。

これは使徒3章の美しの門の癒しを思わせます。

またルカ福音書でイエスが行われた癒しとも重なります。

復活された主の働きが、今も続いていることが示されているのです。


神々と間違えられる使徒たち

ところが群衆は奇跡の意味を取り違えます。

彼らはギリシア神話の影響から、

「ゼウスとヘルメスが来た。」

と思いました。

これは興味深い場面です。

迫害されることも危険ですが、持ち上げられることも危険だからです。

パウロとバルナバはすぐに衣を裂いて叫びます。

「私たちもあなたがたと同じ人間です。」(14:15)

真の神のしもべは、人々を自分へ向けるのではなく神へ向けます。


異邦人への福音

ここでの説教は、ユダヤ人への説教と少し違います。

ユダヤ人には聖書から語りましたが、異邦人には被造物から語っています。

パウロは、

  • 雨を与える神
  • 実りを与える神
  • 喜びを与える神

について語ります。

つまり神は、異邦人にもご自身を証ししておられたのです。

ここに後のローマ1章につながる考え方が見られます。


石打ちにされるパウロ

しかし状況は急変します。

先ほどまで礼拝しようとしていた群衆が、今度はパウロを石打ちにします。

人の評価がどれほど移ろいやすいかが分かります。

ところが驚くべきことに、パウロは立ち上がり、再び町へ戻るのです。

ここには復活の主に支えられた勇気があります。


苦しみを通る神の国

旅の終わりにパウロは弟子たちを励まします。

その言葉は非常に重要です。

「私たちは多くの苦しみを経て神の国に入らなければならない。」(14:22)

現代の感覚では意外に聞こえるかもしれません。

しかしルカ福音書を思い出すと、イエスご自身が十字架を通って栄光へ入られました。

弟子たちも同じ道を歩むのです。

神の国への道は苦しみを回避する道ではありません。

主と共に歩む道なのです。


長老たちの任命

パウロたちは各教会で長老たちを任命します。

ここで初めて、各地の教会が継続的に牧会される体制が見えてきます。

宣教は決心者を生み出して終わりではありません。

神の国の民を育てることも重要なのです。


「信仰の門を開いてくださった」

アンティオキアへ帰った時、彼らは報告します。

「神が異邦人に信仰の門を開いてくださった。」(14:27)

ここが章全体の結論です。

主語はパウロではありません。

神です。

宣教旅行の成果は、人間の努力よりも神の働きによるものでした。


神の国とのつながり

この章は神の国の特徴をよく示しています。

神の国は、

  • 奇跡の中でも進む
  • 迫害の中でも進む
  • 成功の中でも進む
  • 苦しみの中でも進む

のです。

なぜなら神の国の中心は人間ではなく、復活されたキリストだからです。


この章が私たちに語ること

私たちは時に、

祝福されれば神が共におられる、

困難があれば神に見放された、

と考えがちです。

しかし使徒14章では、

奇跡の直後に迫害が起こります。

称賛の直後に石打ちが起こります。

それでも神の働きは止まりません。

神は弱さの中でも力を現されるからです。

私たちもまた、状況ではなく王であるキリストに目を向けながら歩むよう招かれています。


この章の中心メッセージ

福音は奇跡と迫害の両方の中で前進した。

パウロとバルナバは称賛も拒絶も経験したが、神の国の働きをやめなかった。

神は弱い人間を用いてご自身の力を現し、多くの苦しみを通しても福音を前進させられる。

「私たちもあなたがたと同じ人間です。」(使徒14:15)

「私たちは多くの苦しみを経て神の国に入らなければならない。」(使徒14:22)

「神が異邦人に信仰の門を開いてくださった。」(使徒14:27)

教会に長老を任命した理由:

パウロとバルナバは、各地の教会に長老を任命し、祈りと断食をもって彼らを神にゆだねました。これは、教会が単なる集まりではなく、地域ごとに自立した共同体として成長していくための重要なステップでした。宣教者が去った後も教会が信仰を保ち、成長し続けるためには、地域のリーダーが必要だったのです。この任命は、教会の組織化が進み、共同体としての形が整えられていく過程を示しています。