ダニエル7:1-14 『 ダニエル7-2 4頭の大きな獣 』2014/07/06 松田健太郎牧師
ダニエル7:1~14
7:1 バビロンの王ベルシャツァルの元年に、ダニエルは寝床で、一つの夢、頭に浮かんだ幻を見て、その夢を書きしるし、そのあらましを語った。
7:2 ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、7:3 四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。
7:4 第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。
7:5 また突然、熊に似たほかの第二の獣が現れた。その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、『起き上がって、多くの肉を食らえ』との声がかかった。
7:6 この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現れた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。
7:7 その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現れた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。
7:8 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。
7:9 私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、
7:10 火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。
7:11 私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。
7:12 残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。
7:13 私がまだ、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
7:14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。
先々週、黙示文学の読み方についてお話したのですが、ダニエル書の7~8章を読んで来ていただけたでしょうか。
自分で読んでみて、どのように思われたでしょうか?
今日は、特に7章からお話をしていきたいと思いますが、自分で読んでみたのとどれくらい一致しているかを確認するのもおもしろいと思います。
読み解き方が全然違ったとしても、それはそれでいいのです。
僕や注解書が教えている事が必ずしも正しいとは限りませんし、個人的に語られる神様の言葉は、本人にしかわからないという事もあるからです。
それでは早速、読み解いていきましょう。
① 4頭の大きな獣
7:2 ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、7:3 四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。
ダニエルは幻の中で、天からの風が四方に吹いて、海を掻き立てるのを見ます。
風は、聖霊や神様の力など目に見る事の出来ない力である事もあります。
また四方と言うのは東西南北全方向、つまり世界中にその力が及んでいるという事です。
海はへブルの文化では恐怖の対象だったので、そこから出てくる4頭の大きな獣は、恐ろしい獣だったことが分かります。
この4頭の獣は何を表しているでしょうか?
7章の後半で、神様ご自身が解き明かしています。
ダニエル 7:17 『これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。
ここでは四人の王と書かれていますが、続けて読んでいくと、これは4つの王国を表している事がわかってきます。
そしてこの4つの王国がどの国を表しているのか、先々週にもお話ししましたね。
2章で、ネブカデネザル王が頭が金の像を見ますが、そこに表わされていた王国と重なっているのでした。
第一の獣は獅子のような姿をしていて、鷲の翼が生えています。
しかし翼が抜き取られ、人間のように二つの足で立たされ、人間の心が与えられました。
これは、バビロン帝国です。
獅子も、鷲もバビロン帝国を象徴する動物として知られていました。
そしてバビロン帝国最大の王ネブカデネザルは、理性を失って獣のようになりましが、人の心を与えられ、彼は創造主である神様を見出したのでした。
第二の獣は熊。
これは、メディア・ペルシャ帝国を指すと言われています。
牙の間に3本の肋骨がありますが、これはこの帝国が食い尽くしたほかの国の残骸であり、まだ食べたりないという獰猛な性質を暗示しています。
この3本の肋骨は、メディア・ペルシャ帝国が滅ぼした、バビロン、エジプト、リディアを表していると言われています。
第三の獣は、4つの翼と4つの首を持ったひょうのような獣です。
これは、ギリシャ帝国を指していると言われています。
もう少し正確に言うならば、アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)率いるマケドニア帝国という事になるでしょう。
アレキサンダー大王は、その時代の近隣諸国を一気に征服し、巨大な帝国を築き上げた王でした。
その支配はヨーロッパ全土からインド、南はアフリカ大陸にまで及びます。
4つの翼は、その迅速な征服を表しています。
4つの頭は、アレキサンダー大王の死後、プトレマイオス、セレウコス、フィリッポス、アンティゴノスによって帝国が分裂した事を表していると言われています。
この帝国については、8章でもう少し詳しくお話ししていきましょう。
第四の獣は、ローマ帝国、そして終わりの時代の王国という二重預言となっています。
二重預言については、前回の時にも少しお話ししましたね。
イエス様が救い主として地上に来た初臨と、裁きの前にもう一度地上に来る再臨とがひとつのところに書かれているという事がありました。
近い未来に起こる事と、終わりの時代に起こることが同じところに記されている預言のかたちを、二重預言と呼ぶのです。
ここに出てくる10本の角は10人の王を指すと言われていますが、ローマ帝国には10人をはるかに超える皇帝がいました。
だから、この10人が皇帝の中で誰を意味しているのかはよくわかりません。
もしかすると、この辺りの事は終わりの時代の事について書かれている部分が強いのかもしれませんね。
ダニエルの預言ではその後にひとりの王が起こり、3人の王を打倒してしまいます。
この王について、神様はダニエルにこのような解き明しをしています。
ダニエル 7:25 彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。
これは、ローマ皇帝による、クリスチャンの大迫害を表しているように思われます。
でもそれだけではなく、黙示録の中で描かれている終わりの時代に起こる事、反キリストによる大患難時代とも重なっていきます。
ユダヤ人も、クリスチャンも、歴史の中でこのような苦難の時を、何度となく経験してきました。
いつの世でも、神の民に反対する大きな勢力が起こり、聖徒たちはこの王による支配と迫害の中で苦しむことになるのです。
「神様、なぜ助けて下さらないのですか?」
「なぜ、正しい事をする者が損をし、虐げられ、苦しむ中、ずるくて悪を行うものが力を得ていくのですか?」
神様の側に立とうとする人々の中に、このような言葉がたくさん起こります。
② 人の子のような方
しかし、その時は長くは続きません。
神の聖徒たちを迫害する勢力が支配しするのは、ひと時とふた時と半時の間であると黙示で伝えられています。
これは、1+2+半分で3年半の期間を表しています。
実はこれと同じ期間が、反キリストが支配する期間として、黙示録の中でも表されています。
黙示録11:2 聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのまま差し置きなさい。測ってはいけない。彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。
11:3 それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。」
42か月も、1260日も、計算すると共に3年半という期間を表している事がわかります。
3年半というのは、完全数である7年のちょうど半分。
これはつまり、迫害者による支配は永遠に続くかの様に思えるけれど、決して長い期間ではないという事が表されているのです。
ダニエルの幻は、そのまま次の場面へと移ります。
7:9 私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、
7:10 火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。
ここに表わされているのは、裁きの座です。
年を経た方として、裁き主である父なる神様が登場します。
雪のように白い衣と、羊の毛のような頭の毛は、黙示録の中で描かれているイエス様の姿とも重なりますね。
御座と車輪が火で覆われていますが、聖書の中で炎は、全てを清める裁きの炎を表しています。
長く永遠に思える迫害の時、患難の時には、必ず終わりが来ます。
「なぜですか?」と問う私たちの声に、神様は答えて下さいます。
神様が悪の力を野放しにして置くことは決してなく、悪を裁く時が必ず来るのです。
7:11 私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。
“裁く神”と言うと、何か閻魔大王のような存在を連想してしまったり、神様の好みによって○と×が分けられるようなイメージをして、怖いと感じてしまう方も多いかもしれません。
でも神様の裁きとは、弱いものを虐げ、神を愛する人々を迫害し、苦しめてきた人たちに対する、神様の怒りなのです。
そして、ここからがダニエル書のクライマックスでもあります。
7:13 私がまだ、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
7:14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。
前回も言いましたが、人の子ような方というのは、来るべき救い主、イエス様の事です。
イエス様の支配、イエス様の主権がそこにはあるのです。
その支配と主権は、どのようにこの地上に訪れましたか?
マルコ 10:45人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人たちのための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。
イエス様は、この地上の頂点に立ち、みんなから崇められるはずの存在だったのに、私たちのために仕え、私たちのために命を捨てて下さいました。
この優しく、愛で満ちた方の支配が、私たちの上にあるのです。
このような方にこそ、私たちは仕え、従いたいと思いませんか?
この神の国は、私たちが住む地上で留まることなく広がり、決して滅びる事がありません。
しかし、イエス様がもう一度この地上に来られるとき、私たちは永遠の体を与えられ、永遠の時をこの方と共に過ごすことが許されているのです。
私たちは、この方の御前に招かれています。
私たちはどちらの側に立つのでしょうか?
私たちのために仕え、命を投げ出して下さった王の王を神として迎えるのか。それともそれに敵対する者となるのか・・・?
祈りましょう。