中間時代(空白の400年に起こっていたこと)

アレクサンドロス

旧約聖書の最後の書マラキ書と新約聖書の福音書の間には400年間の空白があります。
これを中間時代と呼んだりするわけですが、多くの方はこの間に何があったかをあまり知りません。
いのちのことば社から出版されたマンガで、『聖書時代の古代帝国』というものがあり、これもお勧めですが、僕もここでちょっと書いておこうと思いました。
この時代を知る事によって、聖書の理解がさらに深まると思ったからです。

さて、エズラ・ネヘミヤによってそれなりに回復したように見えたユダ王国は、その後のマラキの時代にはすでに堕落が起こっていました。
そんな堕落が進んでいけば、神様の祝福は必ず離れていくものです。

時代が動くのは、マラキの時代からさらに70年くらい経った頃。
ギリシヤの辺境にあったマケドニアという国で、ひとりの王様が興ります。
その王の名は、アレクサンドロス。
アレキサンダー大王という英語読みの名前の方が知られているかもしれません。
この王様は、父のフィリッポス2世が暗殺されたため、20代の若さで即位しましたが、その戦闘力で恐るべき実力を発揮しました。
アレクサンドロスは王になると、すぐにギリシヤを滅ぼし、当時民主政だったギリシヤを支配してしまいました。
その後アレクサンドロスは、すぐに小アジア、エジプトを征服し、ペルシャ帝国まで滅ぼしてしまいました。
その後インドまで手を伸ばそうとしましたが、それを果たすことなく病死(暗殺という説もある)。
わずか10年の間に、史上最大の領地を持つ帝国となってしまったのです。

でもアレクサンドロスは、戦いの人であって政治の人ではありませんでした。
彼の10年間は征服の10年間であり、統治にはほとんど興味を示さず、帝国の名前さえないまま死んでしまったのです。

ダニエル書を覚えているでしょうか?
ダニエルが見た黙示の中で、バビロン、ペルシャに次ぐ第三の帝国として登場していたのが、このアレクサンドロスの帝国でした。
ヨセフスと言う、イエス様の時代に活躍した歴史家が書いた『ユダヤ年代記』に興味深い事が書かれています。
それによると、アレクサンドロスがペルシャに攻め込む前にエルサレムに立ち寄りました。
その時、神殿に仕える司祭たちにがアレクサンドロスと会見し、「ダニエル書に書かれている第三の王はあなたの事であり、あなたがペルシャを滅ぼすだろう。」と伝え、それを聞いたアレクサンドロスが喜んだという事が記されています。

しかし、この時代のユダ王国もまた、アレクサンドロスの死を境に、さらなる波乱の中に巻き込まれていく事になります。

ディアドコイ(後継者)戦争

アレクサンドロス大王が死ぬと、世界には大混乱が起こりました。
子供はまだ赤ん坊で、唯一いた兄は障碍のため知能が低かったのです。

そこで、アレクサンドロスの下でそれぞれの領地を治めていた将軍たちが、アレクサンドロスの後継者として争うことになったのです。
何人もの将軍たちが目まぐるしく戦いを繰り広げましたが、大きく分けると以下の4つの国に分けられます。(一般的には、最初の3国だけ取り上げられることが多い。)

  • プトレマイオス朝エジプト
  • アンティゴノス朝マケドニア
  • セレウコス朝シリア
  • リュシマコス朝トラキア

ダニエルの見た黙示に出てきた、雄やぎに4本の角がありました。(ダニエル書8章)
その角は、アレクサンドロスが率いるギリシヤの帝国がこの4つの王国を表していると言われています。

さて、アレクサンドロス大王の支配下にあった地域を治めていたのは、すべてギリシヤ人でした。
アレクサンドロスの帝国に正式な名前はありませんが、ギリシヤ帝国と呼ばれたりするのにはこういう理由があるわけでえす。
そして、ギリシヤ人の支配者たちは、それぞれの地域でギリシヤの文化を広げていきました。
ギリシヤの文化の事を、ヘレニズム文化と呼び、アレクサンドロスからこのヘレニズム諸国が全て滅びるまでの300年間を、ヘレニズム時代と呼んでいます。

この時代に、アレクサンドロスの支配下にあった地域の公用語はギリシヤ語(古代/コイネーギリシヤ語)が使われるようになりました。
そんな中で、ユダヤ人の中にもヘブル語がわからず、ギリシヤ語だけを理解するユダヤ人たちも出てきたのです。
そこで聖書も、ギリシヤ語に翻訳される必要が出てきました。
この時翻訳に携わったのは70人の学者たちと言われているので、このギリシヤ語の聖書は70人訳聖書と呼ばれ、今でも聖書解釈の手掛かりとされたりします。

大混乱を起こしたこの時代ですが、こうして広い範囲で公用語が定まったために、聖書は外国人にも読むことができるようになり、福音が世界に広がる足がかりができていきました。

ユダヤ人はかなり苦しむことになったこの時代でしたが、神様の計画はこんな中でも進んでいたのです。

アンティオコス4世=エピファネス

アレクサンドロス大王の後継者(ディアドコイ)の間で起こった戦争の中で、ユダは翻弄されました。
最初の支配者となったのは、プトレマイオス朝エジプト。
プトレマイオス朝は安息日にユダに攻め込み、ユダはなす術もなくエジプトの支配下となってしまいます。

せっかくバビロン帝国(新バビロニア)から帰還したのに、今度はエジプトの首都アレクサンドリアに10万人の人々が捕虜として移住させられることになります。
昨日書いた七十人訳の聖書が作られたのは、この頃ですね。

しかしBC198年、セレウコス朝シリアがユダを占領し支配下に治めると、情勢はさらに厳しくなります。
プトレマイオス朝の支配下では、重税と労働には苦しめられたものの、信仰の自由は与えられていました。
しかし、セレウコス朝はヘレニズム文化を強く広めようとする国で、ギリシヤの神を崇めるように強要したのです。

BC175年にアンティオコス4世=エピファネス(エピファネスは“神の顕現”の意味)による支配が始まると、彼はユダの神殿でゼウスを祭らせ、ユダヤ人たちが汚れたものとする豚肉を捧げさせたと言われています。

終末の預言の中で「荒らす忌むべきものが神殿に立ったら気を付けなさい。」という言葉がありますが、これはこの事を表しています。
終末にも、この時と同じような状況が起こるという事ですね。
このアンティオコス4世・エピファネスは、終末に現れる反キリストの型でもあります。

この事は、ユダヤ人たちの心に大きな傷を残しました。
そして、セレウコス朝に対する反抗心も大きく育てる事になったのです。

マカバイ戦争

セレウコス朝シリア、特にアンティオコス4世による圧政で苦しんだユダの人々の中には、セレウコス朝への反抗心と、独立を願う心が大きくなっていきました。

そんな中で立ち上がったのが、祭司マッティアスと、その息子ユダ・マカバイを始めとする5人の兄弟たちでした。
彼らは、セレウコス朝に対してゲリラ戦を展開し、BC165年12月25日、ついにユダ王国を独立へと導いたのです。

12月25日は、多くのクリスチャンはイエスさまの誕生を祝う人としてクリスマスを祝いますが、ユダヤ人はこの日をハヌカ―と呼んで、独立をセレウコス朝からの独立を祝うのです。
とは言えこの時点では、ユダの実質的な支配権を掌握したというだけの事であって、独立を認めさせたわけではありませんでした。
そのためユダ王国は、その後も幾度となく、セレウコス朝からの攻撃を受けました。
その戦いの中で、ユダ・マカバイはついに戦死しますが、弟たちが指導者を引き継いで、ハスモン朝イスラエルどして独立を果たします。(BC142年

反対勢力が起こりながらも、ユダ・マカバイたちハスモン家(マカバイの別名)の人々がイスラエル人たちの支持を受けて国家として独立したのは、人々の心の中にメシヤ信仰があったからではないかと思います。
メシヤは世界の王として預言されていましたから、多くの人たちがユダ・マカバイこそメシヤだと信じたのです。

イエス様が地上に来られた時、多くの人たちがイエス様は地上の王になると思っていたのは、この時の出来事の影響を受けていたからです。
イエス様の時代、イスラエルはローマ帝国の支配下にありましたから、イエス様が反乱を起こして、イスラエルをひとつにまとめ、やがて世界の王となるに違いないと思っていたのです。

また、この頃からユダヤ教には4つの流れが起こり、互いに分裂していきます。

  • 祭司や律法学者を中心に広がり、律法を重要視したパリサイ派
  • 貴族を中心に広がり、霊的な事を否定していたサドカイ派
  • ユダ・マカバイを信奉し、イスラエルの政治的な独立を重要視していた熱心党
  • そして、神秘主義的な信仰を持ち、人里離れた山奥にコミュニティーを作っていたエッセネ派です。

さてそんな中、歴史にはあのローマ帝国が台頭してきます。
実は独立したはずのイスラエルも、ローマ帝国から自治を認められているに過ぎない危うい状態でもあったのです。

ヘロデ大王

ハスモン朝の初代王となったのは、ユダ・マカバイの甥ヨハネ・ヒルカノスでした。
ヨハネ・ヒルカノスは近隣のエドム人(エサウの子孫)を倒し、洗礼を授けてユダヤ教徒としました。

その後もセレウコス朝と幾度も戦いながら、イスラエルは何とか独立を保っていたのです。

しかしBC63年、共和制ローマがセレウコス朝を倒すと、状況はまた変わります。
ローマに重税を収める事で、何とか自治を保ちますが、その独立はますます危うくなってきたのでした。

その不安定な状況を狙ったのが、エドム人のヘロデです。
ヘロデは、ローマのマルクス・アントニウスの力を借りて、ハスモン朝を倒してしまったのです。
こうしてBC40年、イスラエルはヘロデ朝として、ヘロデ大王の支配に下ったのです。

ヘロデ大王は、ユダヤ人ではなくエドム人でしたから、自分が王である事に自信が持てず、猜疑心の塊だったと言われています。
ベツレヘムの赤子を殺させた事件が聖書には載っていますが、それ以前にも兄弟たちを始め、たくさんの人たちを殺しています。

こうしてローマの支配の元、イスラエルはエドム人によって治められた屈辱的な状況に陥ってしまいます。
そんな中で、再び救い主を待ち望む心が、ユダヤ人たちの間に広がっていきました。
旧約聖書に預言されているメシヤは、まだ地上に来ていない。
メシヤがこのイスラエルに送られ、あのユダ・マカバイのように、イスラエルをもう一度独立解放へと向かわせてくれるに違いない。
人々のそんな思いの元で、時代は新しい時代へと動き始めていたのです。