ヨハネの問いとイエスの答え(マタイ 11:1–6)
“つまずきの現実の中で、イエスがどのようにご自身を示し、 信頼へと招かれるか”を描いた非常に深い場面です。
1. バプテスマのヨハネの問い:なぜ“あのヨハネ”がつまずいたのか
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バプテスマのヨハネは牢獄に入れられ、 イエスの働きが自分の期待と違うように見えた。
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彼はメシアを「裁きと解放をもたらす方」と理解していた。(マタイ3:10-12より)
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しかしイエスは、
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罪人と食事し
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柔和に教え
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癒しを行い
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裁きを遅らせているように見えた
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そのためヨハネは 「あなたこそ来るべき方ですか?」 と問いを送る。
ポイント
ヨハネの問いは“信仰の弱さ”ではなく、 神の働きが自分の期待と違うときに生まれる“正直なつまずき”。
2. イエスの答え:期待を正すのではなく、働きを見せる
イエスは「私はメシアだ。信じなさい」と直接言わない。 代わりに、こう言う:
盲人が見、足なえが歩き、 ツァラアトがきよめられ、 耳の聞こえない者が聞き、 死人が生き返り、 貧しい者に福音が告げ知らされている。
これはイザヤのメシア預言(イザヤ35・61章)をそのまま引用した形。
つまり、
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イエスの働きこそ、メシアのしるしである。
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ヨハネの期待とは違っても、 神の計画は確かに進んでいる。
ポイント
イエスは“説明”ではなく“働き”で答える。 つまずきの中にいる者には、神の現実を見せる。
3. イエスの最後の言葉:つまずきの現実を受け止める
イエスはこう締めくくる:
わたしにつまずかない者は幸いである。(11:6)
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イエスはヨハネのつまずきを責めない。
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むしろ、 つまずきは信仰の歩みの中で自然に起こるもの と受け止めている。
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そして、 つまずきの中でもイエスを信頼し続ける者は幸いだ と語る。
ポイント
イエスは“つまずきゼロの信仰”ではなく、 “つまずきながらもイエスに心を向け続ける信仰”を祝福する。
4. この場面が示す霊的現実
① 期待と違うイエスに出会うとき、人はつまずく
→ バプテスマのヨハネでさえそうだった。
② イエスはつまずきを責めず、働きを見せて心を導く
→ 説明よりも“現実の神の働き”を示す。
③ つまずきの中でもイエスに心を向け続ける者は幸い
→ 信仰とは「揺れないこと」ではなく「揺れながらも向きを保つこと」。
5. まとめ
ヨハネは期待と違うイエスに戸惑い、問いを送った。 イエスは説明ではなく、メシアの働きを示して答えた。 つまずきは信仰の歩みに自然に起こるが、 その中でイエスに心を向け続ける者は幸いである。

