ヨハネ1:6-18 バプテスマのヨハネの証言
光を証しするために遣わされた人(1:6-8)
ヨハネ福音書は、永遠のことばの紹介に続いてバプテスマのヨハネを登場させます。
「神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。」
ヨハネは多くの人々から預言者として尊敬されていました。
しかし彼自身は光ではありません。
その使命は、
「光について証しするため」
でした。
人々を自分に向けるのではなく、来たるべきメシアへ導くことが彼の働きだったのです。
世に来たまことの光(1:9-13)
ヨハネが証しした光とは、イエス・キリストのことです。
「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」
しかし悲しいことに、
「この世はその方によって造られたのに、世はその方を知らなかった。」
と記されています。
創造主がご自分の世界に来られたにもかかわらず、多くの人々はその方を受け入れませんでした。
さらに、
「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」
とあります。
イスラエルの民でさえ、メシアを拒むことになるのです。
しかしヨハネは希望も語ります。
「この方を受け入れた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」
救いは民族や家系によるのではなく、キリストを信じる信仰によって与えられます。
ことばは肉となった(1:14)
ヨハネ福音書の中でも最も重要な節の一つです。
「ことばは肉となって、私たちの間に住まわれた。」
永遠の神が人となられました。
これが受肉の神秘です。
神は遠くから人間を救おうとされたのではありません。
私たちの世界へ入り、私たちの弱さや苦しみの中に住まわれたのです。
ヨハネは、
「私たちはこの方の栄光を見た。」
と証言します。
その栄光は力や支配によるものではなく、恵みと真理に満ちた神の栄光でした。
恵みの上にさらに恵み(1:15-17)
ここで再びバプテスマのヨハネの証言が挿入されます。
ヨハネは、
「私の後に来られる方は、私にまさる方です。」
と語りました。
なぜならイエスはヨハネより後に現れましたが、永遠の昔から存在しておられたからです。
さらにヨハネは、
「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。」
と語ります。
モーセを通して律法が与えられました。
しかしイエス・キリストによって、
「恵みと真理」
が完全に現されたのです。
父を示された御子(1:18)
この序章は、壮大な宣言で締めくくられます。
「いまだかつて神を見た者はいない。」
しかし、
「父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされた。」
とあります。
人間は自分の知恵によって神を完全に知ることはできません。
だから神ご自身が来てくださったのです。
イエスを見ることによって、私たちは父なる神がどのようなお方であるかを知ることができます。
キリストは神を示す完全な啓示なのです。
ヨハネ福音書全体への導入
この段落は、ヨハネ福音書全体の方向性を示しています。
ここでヨハネは、
- バプテスマのヨハネは証人である
- イエスはまことの光である
- イエスを信じる者は神の子どもとなる
- 神は人となって来られた
- イエスを通して父なる神が示された
ことを宣言しています。
これから続く福音書全体は、この真理を様々なしるしと対話を通して明らかにしていくのです。
この箇所が私たちに語ること
私たちはしばしば神が見えないと感じます。
しかし神はご自身を隠されたままにはされませんでした。
イエス・キリストを通して、ご自身を現してくださいました。
また、バプテスマのヨハネのように、信仰者は自分を示すのではなくキリストを指し示す者として召されています。
真の光は私たちではなく、主イエスご自身なのです。
この箇所の中心メッセージ
バプテスマのヨハネは光ではなく、光を証しするために遣わされた。
まことの光であるイエスは世に来られ、信じる者に神の子どもとなる特権を与えられた。
ことばは肉となって私たちの間に住まわれ、父なる神を完全に示されたのである。
「ことばは肉となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)


