ヨハネ5:31-47 イエスを証しするもの

自分だけの証言ではない(5:31-32)

イエスはご自身について語ってこられましたが、ここで一つの原則を示されます。

「もしわたしが自分自身について証言するなら、その証言は真実ではありません。」

これはイエスの証言が偽りだという意味ではありません。

当時のユダヤ人社会では、一人だけの証言では十分な証拠とみなされなかったのです。

そこで主は、

「わたしについて証言する方が別におられる。」

と言われます。

これからイエスは、ご自身を証しする複数の証人を示していかれます。


バプテスマのヨハネの証言(5:33-35)

最初の証人はバプテスマのヨハネです。

ユダヤ人たちはヨハネのもとへ人々を遣わし、彼の証言を聞いていました。

そしてヨハネは一貫して、

「イエスこそキリストである。」

と証言していました。

主は言われます。

「彼は燃えて輝くともしびでした。」

ヨハネは光そのものではありませんでした。

しかし真の光であるキリストを指し示すともしびでした。

人々はしばらくの間、その光を喜びましたが、その証言に従おうとはしませんでした。


わざそのものの証言(5:36)

しかしイエスにはヨハネ以上の証拠があります。

それは、

「父がわたしに成し遂げさせようとして与えてくださったわざ」

です。

主が行われた奇跡やしるしは、単なる不思議な出来事ではありません。

それらは、

「父がわたしを遣わされた」

ことを証明するものでした。

カナの婚礼、

王室の役人の息子の癒し、

ベテスダの病人の癒しなど、

これまでのしるしはすべてイエスが神から来られた方であることを証言していたのです。


父なる神の証言(5:37-38)

さらにイエスは、

「わたしを遣わした父ご自身が、わたしについて証言してくださいました。」

と言われます。

父なる神は、

  • イエスの受洗
  • イエスの働き
  • イエスのしるし

を通して御子を証ししておられました。

しかしユダヤ人たちは、その声を聞かず、そのことばを心に留めませんでした。

なぜなら、

「父が遣わした者を信じていない」

からです。

不信仰は証拠不足からではなく、心の問題から生じていたのです。


聖書の証言(5:39-40)

イエスはさらに語られます。

「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。」

彼らは熱心に聖書を研究していました。

しかし致命的な問題がありました。

「その聖書が、わたしについて証言しているのです。」

旧約聖書の目的は、単なる知識を与えることではありません。

キリストへ導くことです。

ところが彼らは聖書を研究しながら、聖書が指し示しているキリストのもとへ来ようとしませんでした。

そこで主は言われます。

「あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」


人の栄誉を求める心(5:41-44)

イエスは彼らの根本的な問題を明らかにされます。

それは知識不足ではなく、

「互いから受ける栄誉は求めても、神から来る栄誉を求めていない。」

ことでした。

彼らは宗教的に熱心でした。

しかし本当に求めていたのは神ではなく、人からの評価でした。

そのため、神の前にへりくだってキリストを受け入れることができなかったのです。

真の信仰を妨げるのは、知性の問題ではなく、しばしば高ぶりなのです。


モーセもイエスを証言している(5:45-47)

最後にイエスは驚くべきことを語られます。

「あなたがたを訴えるのはモーセです。」

ユダヤ人たちはモーセを誇りとしていました。

しかし実際には、

「モーセはわたしについて書いた。」

のです。

彼らはモーセを信じていると言いながら、モーセが指し示したキリストを拒んでいました。

だから主は言われます。

「モーセを信じていたなら、わたしも信じたはずです。」

旧約と新約は対立しているのではありません。

旧約はキリストを指し示し、新約はそのキリストを明らかにしているのです。


四つの証人

この箇所でイエスは、ご自身を証しする四つの証人を示されます。

  • バプテスマのヨハネ
  • イエスのわざ(しるし)
  • 父なる神
  • 聖書(モーセ)

つまりイエスは、

「わたしを信じるための証拠がない」

とは言えないほどの証言を受けておられました。

それでも人々は信じませんでした。

問題は証拠ではなく、心だったのです。


この箇所が私たちに語ること

私たちも時に、

「もっと証拠があれば信じられる。」

と思うことがあります。

しかしイエスは、すでに十分な証言が与えられていると語られます。

大切なのは証拠の量ではなく、その証言にどう応答するかです。

また聖書を読む目的も、知識を増やすことだけではありません。

聖書が指し示しているキリストのもとへ行くことです。

聖書研究の最終目的は、キリストを知り、その方を信じることにあるのです。


この箇所の中心メッセージ

イエスについては、バプテスマのヨハネ、主の行われたわざ、父なる神、そして聖書そのものが証言している。

それにもかかわらず人々が信じないのは、証拠がないからではなく、神よりも人の栄誉を求めているからである。

聖書の目的はキリストを指し示し、人々をその方のもとへ導くことである。

「その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネ5:39)