ヨハネ6:22-59 いのちのパンの説教

朽ちる食べ物と永遠の食べ物(6:22-27)

五千人の給食の翌日、群衆はイエスを捜してカペナウムまでやって来ました。

彼らは、

「先生、いつここにおいでになったのですか。」

と尋ねます。

しかしイエスは彼らの動機を見抜いておられました。

「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。」

群衆はイエスご自身よりも、パンを求めていました。

そこで主は言われます。

「朽ちる食べ物のためではなく、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。」

人間は日々の必要に心を奪われます。

しかし主は、それ以上に重要な永遠のいのちへ人々の目を向けられました。


神のわざとは何か(6:28-29)

群衆は尋ねます。

「神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」

彼らは何か宗教的な行いを求めていました。

しかしイエスは答えられます。

「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」

救いは人間の努力によって得るものではありません。

神が遣わされた御子を信じることが求められているのです。

ヨハネ福音書において、「信じる」ということばは繰り返し中心に置かれています。


天からのパン(6:30-40)

群衆はさらにしるしを求めます。

「モーセは荒野でマナを与えました。」

しかしイエスは言われます。

「あなたがたに天からのパンを与えたのはモーセではありません。」

本当に天からのパンを与えておられるのは父なる神です。

そして主は宣言されます。

「わたしがいのちのパンです。」

これはヨハネ福音書最初の「わたしは~です」の宣言です。

人はパンがなければ生きられません。

同じように、人の霊もキリストなしには真に生きることができません。

だからイエスは言われます。

「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも決して渇くことがありません。」

さらに主は、

「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。」

と語り、信じる者を最後の日によみがえらせることを約束されます。


天から下って来た方(6:41-51)

するとユダヤ人たちはつぶやき始めます。

「これはヨセフの子イエスではないか。」

彼らはイエスの人間的な出自しか見ていませんでした。

しかし主は、

「だれでも父が引き寄せてくださらなければ、わたしのもとに来ることはできません。」

と語られます。

信仰は単なる人間の決断ではなく、神の恵みの働きによるのです。

そして再び言われます。

「わたしは天から下って来た生けるパンです。」

マナは荒野で人々を一時的に生かしました。

しかし食べた人はみな死にました。

ところがイエスは、

「このパンを食べる者は永遠に生きます。」

と言われます。

そして、

「わたしが与えるパンは、世のいのちのためのわたしの肉です。」

と語ります。

ここで十字架が見え始めています。


わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む(6:52-59)

この言葉を聞いて、人々は激しく議論します。

「どうしてこの人は、自分の肉を食べさせることができるのか。」

するとイエスはさらに語られます。

「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちにいのちはありません。」

もちろん主は文字どおりの意味で語っておられるのではありません。

ヨハネ福音書全体の流れから見るなら、

十字架において与えられるキリストを信仰によって受け入れる

ことを意味しています。

パンを食べることが生命維持に不可欠であるように、

キリストに結ばれることが永遠のいのちに不可欠なのです。

主は繰り返し約束されます。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は永遠のいのちを持っています。」

そして、

「その人をわたしは終わりの日によみがえらせます。」

と言われます。


五千人の給食の本当の意味

群衆はパンの奇跡を見ました。

しかし主が示したかったのはパンそのものではありませんでした。

五千人の給食は、

「イエスはいのちのパンである」

という真理を指し示すしるしでした。

人々は一時的な満足を求めました。

しかしイエスは永遠のいのちを与えようとしておられたのです。

ヨハネはここで、

モーセを超える方、

マナを超える方、

人の魂を永遠に養う方としてキリストを描いています。


この箇所が私たちに語ること

私たちも群衆のように、

  • 問題の解決
  • 必要の充足
  • 目に見える祝福

を求めてイエスのもとへ行くことがあります。

しかし主はさらに深い問いを投げかけられます。

「あなたは本当にわたしを求めているか。」

私たちに必要なのは、イエスから何かを受け取ること以上に、イエスご自身です。

この世のものは再び飢え渇きをもたらします。

しかしキリストは永遠に満たすことのできるいのちのパンなのです。


この箇所の中心メッセージ

イエスはご自身を「いのちのパン」と宣言し、信じる者に永遠のいのちを与えることを約束された。

荒野のマナが一時的な命を支えたように見えても、真に人を生かすのは天から下られたキリストである。

永遠の満足と救いは、十字架において与えられた主を信じることによって与えられるのである。

「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがありません。」(ヨハネ6:35)