ヨハネ8:1-11 姦淫の女
※ヨハネ7:53-8:11(姦淫の女の記事)は、古い写本の一部には含まれていないため、多くの聖書で注記が付されています。しかし古くから教会で読まれてきた伝承であり、多くの聖書では本文として掲載されています。そのためここでは聖書本文に従って解説します。
罠として連れて来られた女性(8:1-6前半)
イエスがオリーブ山へ行かれた後、朝早く再び神殿で教えておられると、律法学者たちとパリサイ人たちが一人の女性を連れて来ました。
彼女は、
「姦淫の現場で捕えられた。」
と告発されます。
そして人々はイエスに質問します。
「モーセは、このような女を石打ちにするよう命じています。あなたは何と言われますか。」
これは純粋な質問ではありませんでした。
彼らは、
「イエスを訴える口実を得ようとしていた。」
のです。
もし石打ちを認めれば、ローマの法律と衝突する可能性があります。
逆に赦せば、モーセの律法を軽んじていると非難できます。
彼らは女性の救いには関心がなく、イエスを陥れることだけを考えていました。
地面に書かれる主(8:6後半-8)
しかしイエスはすぐには答えられません。
身をかがめて地面に何かを書いておられました。
聖書は何を書かれたのか説明していません。
多くの解釈がありますが、断定することはできません。
それでも人々が問い続けると、イエスは身を起こして言われます。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げなさい。」
そして再び身をかがめて地面に書き続けられました。
主は罪を軽視されたのではありません。
しかし罪人を裁こうとする者たち自身の罪を明らかにされたのです。
一人ずつ去っていく告発者たち(8:9)
このことばを聞いた人々は、
「年長者たちから始まって、一人また一人と出て行った。」
とあります。
彼らは女性の罪を知っていました。
しかし主のことばによって、自分たちもまた神の前では罪人であることを思い知らされたのです。
やがてその場には、
- イエス
- 女性
だけが残りました。
告発者たちは去りましたが、罪そのものが消えたわけではありません。
これから主は、罪と恵みの両方を語られます。
恵みと真理(8:10-11)
イエスは女性に尋ねられます。
「あの人たちはどこにいますか。あなたを罪に定める者はいなかったのですか。」
女性が、
「だれもいません。」
と答えると、主は言われます。
「わたしもあなたを罪に定めません。」
しかし主のことばはそこで終わりません。
「行きなさい。今からは決して罪を犯してはいけません。」
ここにキリストの恵みと真理の両方が現れています。
イエスは女性を断罪されませんでした。
しかし罪を認めたり容認したりもされませんでした。
赦しを与えながら、新しい歩みへ招かれたのです。
ヨハネ福音書における恵みの実例
ヨハネ1:14では、
「ことばは肉となって、私たちの間に住まわれた。」
「恵みと真理に満ちておられた。」
と語られていました。
この場面は、その具体的な実例と言えます。
律法学者たちは真理だけを語ろうとしました。
しかしそこには愛がありませんでした。
一方、イエスは恵みだけでも真理だけでもなく、
恵みと真理を共に示された
のです。
この箇所が私たちに語ること
私たちは告発者たちのように、他人の罪には敏感で、自分の罪には鈍感になりがちです。
しかし主の前では、すべての人が恵みを必要とする罪人です。
また、この女性のように失敗や罪を抱えていても、イエスはその人を退けられません。
主は、
「わたしもあなたを罪に定めません。」
と語られます。
しかし同時に、
「新しい歩みを始めなさい。」
と招かれるのです。
真の赦しは、罪に留まるためではなく、新しい人生へ進むために与えられています。
この箇所の中心メッセージ
イエスは姦淫の現場で捕えられた女性を断罪せず、恵みをもって受け入れられた。
しかし同時に罪を軽視せず、「もう罪を犯してはならない」と新しい歩みへ招かれた。
キリストには恵みと真理が完全に備わっており、罪人を赦しながら変革へ導かれるのである。
「わたしもあなたを罪に定めません。行きなさい。今からは決して罪を犯してはいけません。」(ヨハネ8:11)


