ヨハネ10:22-30 メシア論争

宮きよめの祭り(10:22-24)

その頃、エルサレムでは宮きよめの祭りが行われていました。

これは後にハヌカと呼ばれる祭りで、神殿が異邦人の支配から清められたことを記念するものでした。

季節は冬であり、イエスは神殿のソロモンの回廊を歩いておられます。

するとユダヤ人たちが主を取り囲み、問いかけました。

「あなたがキリストなら、はっきりと言ってください。」

彼らは明確な答えを求めているように見えます。

しかし実際には、イエスが何度語っても信じようとしていませんでした。

問題は情報不足ではなく、不信仰だったのです。


信じない理由(10:25-26)

イエスは答えられます。

「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じません。」

そしてその理由を示されます。

「わたしが父の名によって行うわざが、わたしについて証言しています。」

これまでヨハネ福音書では、

  • カナの婚礼
  • 王室の役人の息子の癒し
  • ベテスダの病人の癒し
  • 五千人の給食
  • 湖上歩行
  • 盲人の癒し

など、多くのしるしが行われてきました。

それらはすべて、

「イエスは誰なのか」

を示す証言でした。

それでも信じないのは、

「あなたがたがわたしの羊の群れに属していないからです。」

と主は言われます。

彼らはしるしを見ても、羊飼いの声を聞こうとしなかったのです。


羊と牧者の関係(10:27-28)

ここでイエスは再び羊のたとえを用いられます。

「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。」

「わたしもその羊たちを知っています。」

「そして彼らはわたしについて来ます。」

これは前半(10:1-21)で語られた良い牧者の教えを受けています。

羊と牧者の関係は単なる知識の関係ではありません。

互いに知り合い、信頼し、従う関係です。

そして主は驚くべき約束を与えられます。

「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。」

さらに、

「彼らは決して滅びることがなく、だれも彼らをわたしの手から奪い去ることはありません。」

信仰者の救いは、自分自身の力によって保たれているのではありません。

良い牧者であるキリストの御手によって守られているのです。


父と子の一致(10:29-30)

続いてイエスは言われます。

「父は、わたしにそれを与えてくださいました。」

羊は父なる神から御子へ託された存在です。

そして、

「だれも彼らを父の御手から奪い去ることはできません。」

と語られます。

ここには二重の守りがあります。

信じる者は、

  • 御子の御手の中にあり
  • 父の御手の中にもある

のです。

そして最後に、ヨハネ福音書の中でも最も重要な宣言の一つが語られます。

「わたしと父とは一つです。」

イエスは単に、

「父と協力している」

とは言われませんでした。

父と御子は本質において一つであることを宣言されたのです。

この言葉は次の段落で、人々が石を取って主を殺そうとするきっかけになります。

なぜなら彼らは、この言葉が神性の主張であることを理解したからです。


良い牧者から神の御子へ

ヨハネ10章前半では、

「わたしは良い牧者です。」

という宣言が中心でした。

後半では、その牧者が単なる宗教指導者ではなく、

父と一つである神の御子

であることが明らかにされます。

羊を守ることができるのは、

単なる人間の牧者ではありません。

永遠のいのちを与え、父と共に支配しておられる神の御子だからこそ、その約束が確かなのです。


この箇所が私たちに語ること

私たちも時に、

「本当に守られているのだろうか。」

と不安になることがあります。

しかしイエスは、

「だれも彼らをわたしの手から奪い去ることはありません。」

と約束されました。

信仰者の希望は、自分の強さではありません。

良い牧者であるキリストの守りにあります。

また主は、

「わたしと父とは一つです。」

と語られました。

救いを与える方は単なる偉大な教師ではなく、父と一つである神の御子なのです。


この箇所の中心メッセージ

イエスはご自身がキリストであることを、そのわざによって証しされ、羊たちに永遠のいのちを与える良い牧者であると宣言された。

そして「わたしと父とは一つです」と語り、父と本質において一つである神の御子であることを明らかにされた。

信じる者は父と御子の御手によって永遠に守られるのである。

「わたしと父とは一つです。」(ヨハネ10:30)