ヨハネ12:20-36 栄光の時の到来

異邦人たちの願い(12:20-22)

過越の祭りのためにエルサレムへ来ていた人々の中に、ギリシア人たちがいました。

彼らはピリポのもとへ来て言います。

「先生、イエスにお目にかかりたいのです。」

ピリポはアンデレに相談し、二人でイエスに取り次ぎます。

ヨハネはこの短い出来事を非常に重要なものとして描いています。

なぜなら、ここで初めて異邦人たちが明確にイエスを求めて来たからです。

これは福音がイスラエルを越えて世界へ広がる時が来たことを示すしるしでした。

そのためイエスは、これをきっかけに

「人の子が栄光を受ける時が来ました。」

と宣言されるのです。


一粒の麦のたとえ(12:23-26)

イエスは言われます。

「人の子が栄光を受ける時が来ました。」

しかし主が語る栄光は、人々が期待していた王位や勝利ではありませんでした。

そこで主は一粒の麦のたとえを用いられます。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。」

「しかし、死ねば豊かな実を結びます。」

これはまずイエスご自身について語っています。

主は十字架で死なれます。

しかしその死によって、無数の人々に命をもたらされるのです。

さらにこの原理は弟子たちにも適用されます。

「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。」

真の弟子道とは、自分を中心に生きることではなく、主に従うために自分を献げることなのです。


十字架を前にした主の苦悩(12:27-30)

ここでイエスは、ご自身の内面を明らかにされます。

「今、わたしの心は騒いでいる。」

主は十字架を前にしておられました。

その苦しみがどれほど大きいものかを完全に知っておられたのです。

しかし主は言われます。

「わたしはこの時のために来たのです。」

十字架は偶然ではありません。

それこそが父のご計画でした。

そして主は祈られます。

「父よ。御名の栄光を現してください。」

すると天から声がありました。

「わたしはすでに栄光を現したし、再び栄光を現そう。」

父なる神ご自身が御子を証しされたのです。

群衆はその声を聞きましたが、

  • 雷だと言う者
  • 御使いが語ったと言う者

もいました。

しかし主は、その声がご自身のためではなく、人々のために響いたことを説明されます。


十字架による勝利(12:31-33)

続いてイエスは言われます。

「今、この世に対するさばきが行われます。」

「今、この世を支配する者が追い出されます。」

普通に考えれば、十字架は敗北に見えます。

しかしヨハネ福音書では逆です。

十字架こそ悪の勢力に対する勝利なのです。

さらに主は宣言されます。

「わたしが地上から上げられるなら、すべての人を自分のもとに引き寄せます。」

ヨハネはこれについて、

「どのような死に方で死ぬかを示しておられた。」

と説明しています。

「上げられる」とは十字架を指します。

しかしそれは同時に栄光の高挙でもあります。

十字架によって、ユダヤ人だけでなく全世界の人々が救いへ招かれるのです。


光のあるうちに(12:34-36)

群衆は困惑します。

メシアは永遠に生きると聞いていたからです。

そこで尋ねます。

「人の子とはだれですか。」

しかしイエスは議論を続けず、光について語られます。

「もうしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。」

そして勧められます。

「光のあるうちに歩きなさい。」

「光を信じなさい。」

ここで光とはイエスご自身です。

主がおられる今こそ、応答すべき時なのです。

そして最後に、

「光の子どもとなるためです。」

と言われます。

信仰とは単に真理を知ることではありません。

光の中を歩む者へと変えられることなのです。


栄光とは十字架である

この箇所はヨハネ福音書全体の大きな転換点です。

ここまでの「しるしの書」は終わりに近づき、これ以後は十字架へ向かう歩みが中心となります。

そして驚くべきことに、イエスは十字架を

「栄光の時」

と呼ばれました。

人間の目には敗北、苦難、死に見える出来事が、神の目には救いと勝利の完成だったのです。


この箇所が私たちに語ること

私たちは栄光を成功や力や称賛によって測りがちです。

しかしイエスは、一粒の麦が地に落ちて死ぬことの中に真の栄光を見ておられました。

神の国では、

与えることが受けることにつながり、

仕えることが栄光につながり、

死が命への道となります。

また主は、

「光を信じなさい。」

と招いておられます。

その招きに応答する者は、光の子どもとして歩むようになるのです。


この箇所の中心メッセージ

異邦人たちがイエスを求めたことをきっかけに、主は「栄光の時が来た」と宣言された。

その栄光とは十字架による死と復活である。

一粒の麦が死んで多くの実を結ぶように、イエスはご自身を献げて全世界に救いをもたらされた。

光であるキリストを信じる者は、光の子どもとして生きるよう招かれている。

「人の子が栄光を受ける時が来ました。」(ヨハネ12:23)