ヨハネ12:37-50 不信仰の総括
多くのしるしを見ても信じなかった人々(12:37-41)
ヨハネはここで、イエスの公生涯前半を振り返ります。
主はこれまで、
- 水をぶどう酒に変える
- 病人を癒す
- 五千人を養う
- 盲人の目を開く
- ラザロをよみがえらせる
など、多くのしるしを行われました。
しかしヨハネは言います。
「これほど多くのしるしを彼らの前で行われたのに、彼らはイエスを信じなかった。」
これは単なる失望の言葉ではありません。
むしろ、旧約聖書の預言が成就していることを示しています。
ヨハネはイザヤ53:1を引用します。
「主よ。だれが私たちから聞いたことを信じましたか。」
さらにイザヤ6章を引用し、
「彼らは目で見ず、心で理解しない。」
と語ります。
これは神が人々を無理やり不信仰にしたという意味ではありません。
彼らが繰り返し光を拒み続けた結果、心が頑なになったことを表しています。
そしてヨハネは驚くべきことを語ります。
「イザヤはイエスの栄光を見たので、この方について語ったのである。」
旧約の預言者イザヤが見た主の栄光は、実はキリストの栄光だったのです。
人を恐れる信仰(12:42-43)
それでも完全に信じなかったわけではありません。
ヨハネは続けて語ります。
「指導者たちの中にも、イエスを信じる者が多くいた。」
しかし彼らは公に告白しませんでした。
なぜなら、
「会堂から追放されることを恐れていた。」
からです。
そしてヨハネはその原因を見抜いています。
「彼らは神から受ける栄光よりも、人から受ける栄光を愛したのである。」
ここには本当の問題があります。
人々は知識がなかったのではありません。
信じる勇気がなかったのです。
信仰は単に心の中で同意するだけではありません。
キリストを主として告白することが求められるのです。
イエスを信じることは父を信じること(12:44-45)
ここでイエスは再び大声で語られます。
「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。」
そして、
「わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。」
と言われます。
これはヨハネ福音書の重要なテーマです。
父と子は切り離せません。
イエスを知ることは父を知ることです。
イエスを拒むことは父を拒むことでもあるのです。
主は父なる神を完全に現す方として来られました。
光として来られた主(12:46)
イエスは再び宣言されます。
「わたしは光として世に来ました。」
これは1章から繰り返されてきたテーマです。
- 光は来た
- 闇はそれに打ち勝てなかった
- 世の光が来られた
そして今、公生涯の終わりに近づいた時、主は改めてその使命を語られます。
目的は、
「わたしを信じる者がやみの中にとどまらないためです。」
人類は罪という闇の中にあります。
イエスはその闇を照らす光として来られたのです。
救うために来られた方(12:47-48)
続いて主は言われます。
「わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たのです。」
これはヨハネ3:17と響き合っています。
主の第一の目的は救いでした。
しかしだからといって拒絶に結果がないわけではありません。
イエスは言われます。
「わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。」
それは、
「わたしが語ったことば」
です。
終わりの日、人は自分が聞いた神のことばによって判断されることになります。
永遠のいのちへの命令(12:49-50)
最後にイエスは、ご自身の語ることばの源を明らかにされます。
「わたしは自分から語ったのではありません。」
父なる神が語るべきことを命じられたのです。
そして主は言われます。
「その命令は永遠のいのちであることを、わたしは知っています。」
イエスのことばは単なる宗教的教訓ではありません。
それは命を与える神のことばです。
だから主は、
「わたしが語ることは、父がわたしに話されたとおりなのです。」
と言われます。
ここに父への完全な従順が示されています。
しるしの書の結論
この箇所はヨハネ福音書前半、「しるしの書(1~12章)」の総括です。
ヨハネはここまでを振り返りながら、
- 多くのしるしが行われた
- それでも多くの人は信じなかった
- 預言は成就した
- イエスは父を現す光として来られた
- 主の目的は救いであった
ことをまとめています。
そしてここから福音書は、「栄光の書(13~20章)」すなわち十字架と復活の物語へ入っていきます。
この箇所が私たちに語ること
人はしばしば、
「もっと証拠があれば信じる。」
と言います。
しかしヨハネは、多くのしるしを見てもなお信じない人々がいたことを示しています。
信仰の問題は証拠ではなく、心の応答です。
また指導者たちのように、人の評価を恐れて信仰を隠してしまうこともあります。
しかしイエスは光として来られました。
その光に応答する者は、闇から出て永遠のいのちへ導かれるのです。
この箇所の中心メッセージ
イエスは数多くのしるしを行われたが、多くの人々はなお信じなかった。
しかしその不信仰さえも預言の成就であった。
主は父なる神を現す光として世に来られ、人々をさばくためではなく救うために来られた。
イエスのことばは永遠のいのちへの神の招きなのである。
「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者がやみの中にとどまらないためです。」(ヨハネ12:46)

