ヨハネ16:1-4 迫害の予告
つまずかせないための備え(16:1)
イエスは弟子たちに言われます。
「わたしがこれらのことを話したのは、あなたがたがつまずかないためです。」
15章では、
- 世が弟子たちを憎むこと
- キリストが先に憎まれたこと
- 聖霊が証ししてくださること
が語られました。
主は弟子たちに、苦難の現実を隠されませんでした。
なぜなら、試練が突然襲って来た時に、
「こんなはずではなかった。」
と思って信仰を失わないためです。
キリストは弟子たちを守るために、前もって真実を語られたのです。
会堂から追放される時(16:2)
主はさらに具体的に予告されます。
「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。」
当時のユダヤ社会において会堂から追放されることは、単なる礼拝への出入り禁止ではありませんでした。
それは、
- 宗教共同体からの排除
- 社会的孤立
- 人間関係の断絶
を意味する深刻な処分でした。
実際にヨハネ9章では、生まれつき盲目だった人がイエスを証ししたために会堂から追放されました。
これから弟子たちも同じ経験をすることになります。
しかし迫害はそこで終わりません。
「あなたがたを殺す者がみな、その行為で神に奉仕していると思う時が来ます。」
これは後の教会史で現実となります。
サウロ(後のパウロ)も回心前には、キリスト者を迫害することが神への奉仕だと考えていました。
なぜそのようなことが起こるのか(16:3)
イエスは迫害の根本原因を説明されます。
「彼らがそのようなことを行うのは、父もわたしも知らないからです。」
問題は単なる意見の違いではありません。
神を知らないことが原因なのです。
皮肉なことに、迫害する人々は非常に宗教的でした。
彼らは熱心に神へ仕えていると思っていました。
しかし実際には、
父を知らず、
御子も知らなかった
のです。
ヨハネ福音書では一貫して、
イエスを知ることが父を知ることである
と教えられています。
そのため御子を拒む者は、神に仕えているつもりでも神を知らないのです。
思い出すためのことば(16:4)
主は最後に言われます。
「これらのことを話したのは、その時が来たら、わたしがあなたがたに話したことを思い出すためです。」
弟子たちは後に、
- 迫害を受ける
- 捕らえられる
- 会堂から追放される
- 殉教の危険に直面する
ことになります。
しかしその時、
「主は前もって語っておられた。」
ことを思い出すでしょう。
そうすることで彼らは、
神のご計画が失敗したのではない
と知ることができました。
むしろ苦難の中にあっても、主はなお支配しておられるのです。
そしてイエスは、
「これらのことを初めには話しませんでした。」
とも言われます。
なぜなら、その間は主ご自身が弟子たちと共におられたからです。
しかし今、十字架の時が近づき、弟子たちは自ら立つ備えをしなければなりませんでした。
愛の約束の後に語られる苦難
興味深いことに、この箇所は聖霊の約束の直後に置かれています。
イエスは、
- 助け主が来る
- 聖霊が証しする
- 弟子たちも証しする
と語られました。
しかしその証しには代償が伴います。
弟子たちは世から歓迎されるのではなく、しばしば拒絶されるのです。
それでも主は、
「つまずかないため」
に前もって語られました。
苦難は神に見捨てられた証拠ではなく、むしろ主に従う者の歩みの一部なのです。
この箇所が私たちに語ること
私たちは信仰を持つなら問題がなくなると思うことがあります。
しかしイエスは弟子たちに、迫害や反対があることを隠されませんでした。
それでも主は、
「つまずかないため」
に前もって語られました。
信仰者の希望は、苦難がないことではありません。
苦難の中でも主がすべてをご存じであり、共にいてくださることです。
聖霊によって支えられながら歩む時、私たちは反対の中でもキリストを証しし続けることができるのです。
この箇所の中心メッセージ
イエスは弟子たちが将来受ける迫害を前もって告げられた。
人々は神に仕えていると思いながら弟子たちを排斥し、時には殺すことさえある。
しかしその背後には父と御子を知らない霊的な無知がある。
主は弟子たちがつまずかないためにこれらを語られ、苦難の中でも信仰を保つよう備えられたのである。
「わたしがこれらのことを話したのは、あなたがたがつまずかないためです。」(ヨハネ16:1)

