ヨブ記 35章 エリフ④:人の義は神を動かさない(35:1–16)

ヨブ記35章では、エリフの第三の演説が語られます。

エリフは引き続きヨブの言葉に応答しますが、今回は特に「正しく生きても意味がないのではないか」というヨブの嘆きに焦点を当てています。

ヨブ自身はそのように単純に考えていたわけではありません。

しかし苦しみの中で語られた言葉の中には、「私が正しく生きても何の益があるのか」という響きがありました。

そこでエリフは、神と人との関係について新たな視点を示します。

神は人間の善悪によって左右される存在ではなく、完全に自立したお方であるというのです。

背景

33章でエリフは、苦しみには人を導く目的があると語りました。

34章では、神が不正を行うことは決してないと主張しました。

そして35章では、「では人間の義とは何なのか」という問題を扱います。

ヨブは、自分が誠実に生きてきたことを知っていました。

だからこそ現在の苦しみに納得できなかったのです。

しかしエリフは、その考え方自体に修正が必要だと考えます。

神に従うことは、神から何かを得るためではないからです。

1. 正しさは神の利益にはならない(35:1–8)

エリフはまずヨブの考えを取り上げます。

「何があなたの役に立つのでしょうか。私が罪から離れると、どんな利益があるのでしょうか」

つまり、「私が正しく生きたとしても神さまに何か得があるだろうか?」ということです。

これはヨブの心の叫びを要約したものです。

それに対してエリフは空を見上げるよう促します。

天は高く、人のはるか上にあります。

同じように、神は人間を超越しておられます。

人が罪を犯したとしても、神が損失を受けるわけではありません。

反対に、人が正しく生きたとしても、神が何か不足を補われるわけではありません。

もちろん神が人の行いを気にされないという意味ではありません。

エリフが語りたいのは、神は人間に依存する存在ではないということです。

私たちの善も悪も、まず周囲の人々に影響を与えます。

しかし神の存在そのものを増やしたり減らしたりすることはできません。

2. なぜ叫んでも答えがないのか(35:9–13)

続いてエリフは、人々の叫びについて語ります。

人は苦しみに遭うと助けを求めます。

虐げられると叫びます。

しかし必ずしもすぐに答えが与えられるわけではありません。

なぜでしょうか。

エリフによれば、多くの人は苦しみから解放されたいだけで、神ご自身を求めていないからです。

彼は、「私を造られた神はどこにおられるのか」と真剣に神を求める人は少ないと言うのです。

もちろんこの説明だけでヨブの状況を説明できるわけではありません。

実際、ヨブは誰よりも神を求めていました。

その点でエリフの理解は十分ではありません。

しかし彼は少なくとも、人間中心の祈りと神を求める祈りの違いを指摘しているのです。

3. 高ぶりの言葉に対する警告(35:14–16)

章の最後でエリフは再びヨブへ向かいます。

ヨブは「神を見ることができない」と言っていました。

神が沈黙しておられるように感じていたのです。

しかしエリフは、神の前で忍耐強く待つべきだと勧めます。

神がすぐに行動されないからといって、神が無関心なのではありません。

またエリフは、ヨブの言葉の中に焦りや不満が混じっていることを問題視します。

ヨブの苦しみは本物でした。

しかしエリフは、その苦しみの中で語られる言葉が神への不信へ向かわないよう警告しているのです。

この箇所が私たちに語ること

ヨブ記35章は、神が人間に依存しない完全なお方であることを教えています。

私たちは時に、「これだけ祈ったのに」「これだけ忠実に歩んだのに」と考えてしまいます。

しかし神との関係は取引ではありません。

神に従うのは祝福を買うためではなく、神ご自身が礼拝に値するお方だからです。

また、この章は祈りについても考えさせられます。

苦しい時、私たちは問題の解決ばかりを求めがちです。

けれども神は、問題の向こうにあるご自身との関係へ私たちを招いておられます。

さらに、神の沈黙は神の不在を意味しません。

ヨブにはまだ答えが与えられていませんでした。

それでも神は彼を見捨てておられませんでした。

私たちもまた、答えが見えない時に神を信頼することへと招かれています。

そして新約聖書において、その神の御心はイエス・キリストによって明らかにされました。

神は遠くで人間を観察しているのではなく、ご自身が人となって私たちの苦しみの中に入って来られたのです。

この箇所の中心メッセージ

神は人間に依存しない完全なお方です。

神との関係は取引ではなく、信頼に基づくものです。

答えが見えない時にも、神ご自身を求め続けることが真の信仰です。

「あなたはさらに、『私は神を見ることができない』と言う。しかし、さばきは神の前にある。あなたは神を待て。」(ヨブ35:14)