ヨシュア記3章 ヨルダン川を渡る ── 新しい出エジプト(3:1-17)
ヨシュア記3章は、イスラエルがついに約束の地へ入る歴史的な転換点を描く章です。
2章では、エリコのラハブが信仰によって神の民に加えられる備えがなされました。
そして3章では、長い荒野の旅が終わり、イスラエルはヨルダン川を渡って約束の地へ入ります。
この出来事は単なる川渡りではありません。
それはかつての紅海の出来事を思い起こさせる、
新しい出エジプトとも言うべき出来事でした。
この章の中心は、神は約束されたことを成し遂げるために、ご自身の民の前で道を開かれるということです。
背景
イスラエルはシティムを出発し、ヨルダン川のほとりまで来ていました。
しかし時期は収穫期であり、
「ヨルダン川は、その刈り入れの時期には岸いっぱいにあふれていた」(3:15)
と記されています。
つまり最も渡るのが困難な時期でした。
神はしばしば、人間的には不可能に見える状況の中でご自身の力を現されます。
神に備える民(3:1-5)
ヨシュアは朝早く起きて民を導きます。
そして祭司たちが担ぐ契約の箱に従うよう命じます。
ここで民は、「自分自身を聖別しなさい。」と命じられます。
なぜなら、「明日、主はあなたがたのうちに不思議を行われるからだ。」からです。
奇跡の前に求められたのは軍事訓練ではなく、神に心を向けることでした。
神の働きを見る備えは、まず主の前に自らを整えることから始まるのです。
契約の箱が先頭に立つ(3:6-8)
神はヨシュアに語られます。
「今日から、わたしは全イスラエルの目の前であなたを大いなる者とする。
わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを彼らが知るためである。」
神は新しいリーダーを確立されます。
そして契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際まで進むよう命じられます。
契約の箱は神の臨在の象徴です。
イスラエルを導いたのはヨシュアではなく、神ご自身でした。
生ける神がともにおられる(3:9-13)
ヨシュアは民に言います。
「生ける神があなたがたの中におられることを、これによって知ることになる。」
神が追い払われる民族として、
- カナン人
- ヘテ人
- ヒビ人
- ペリジ人
- ギルガシ人
- アモリ人
- エブス人
が挙げられます。
しかし勝利の根拠はイスラエルの力ではなく、神の臨在です。
ヨシュアは、「全地の主の契約の箱」という表現を用います。
神はイスラエルだけの神ではありません。
全世界を支配しておられる主なのです。
ヨルダン川が分かれる(3:14-17)
ついに民は出発します。
祭司たちが契約の箱を担いで川へ入ると、驚くべきことが起こります。
「上から流れ下る水はせき止められ」
民は乾いた地の上を渡り始めます。
かつてモーセの時代に紅海が分かれたように、今度はヨルダン川が分かれたのです。
しかし興味深いのは順序です。
紅海では海が分かれてから進みました。
ヨルダン川では、祭司たちがまず水の中へ足を踏み入れました。
そして神が道を開かれたのです。
信仰とは、道が見えてから進むことではなく、神を信頼して一歩を踏み出すことでもあります。
祭司たちは川の真ん中に立ち続け、イスラエル全体が向こう岸へ渡り終えるまでその場を離れませんでした。
こうして新しい世代はついに約束の地へ足を踏み入れたのです。
この箇所が私たちに語ること
ヨシュア記3章は、神が約束を成し遂げられるお方であることを教えています。
四十年前、第一世代は不信仰によって約束の地へ入ることができませんでした。
しかし神は約束を取り消されませんでした。
今、新しい世代をその地へ導かれるのです。
また、この章は神の臨在こそ信仰者の力であることを教えています。
イスラエルを導いたのは契約の箱、すなわち神の臨在でした。
人生の困難を乗り越える力も、私たち自身の能力ではなく、共におられる神から来るのです。
さらに、この章は信仰の一歩について教えています。
祭司たちは水が分かれる前に足を踏み入れました。
神はしばしば、私たちにすべてを見せてからではなく、信頼して従うことを求められます。
その時、神ご自身が道を開いてくださるのです。
この箇所の中心メッセージ
神はヨルダン川を分けることによって、ご自身がイスラエルと共におられることを示された。
この出来事は紅海の奇跡を思い起こさせる新しい出エジプトであり、神が約束を確実に成し遂げられることの証しであった。
神の民は、目に見える道ではなく神の臨在を信頼し、信仰をもって一歩を踏み出すよう招かれているのである。
「生ける神があなたがたの中におられることを、これによって知ることになる。」(ヨシュア3:10)

