ヨシュア記20章 逃れの町 ── 正義とあわれみの避け所(20:1-9)
ヨシュア記20章は、約束の地の分配が進む中で「逃れの町」が定められる場面を記しています。
19章では、各部族への相続地の分配が完了しました。
しかし神は土地を与えるだけでなく、その地の中に正義とあわれみが保たれる仕組みも備えられました。
その一つが「逃れの町」です。
この章の中心は、神は罪を軽く扱われない正義の神であると同時に、弱さを抱える人を守られるあわれみの神でもあるということです。
背景
逃れの町については、すでに民数記35章、申命記19章で命じられていました。
古代社会には「血の復讐者」という制度がありました。
家族が殺された場合、その親族が加害者に報復する責任を負っていました。
しかし、人を殺したすべてのケースが故意の殺人とは限りません。
事故による死や意図しない過失もありました。
もし区別がなければ、無実の人が報復によって命を失う危険があります。
そこで神は逃れの町を設けられました。
逃れの町の目的(20:1-6)
主はヨシュアに命じられます。
「イスラエルの子らのために逃れの町を定めなさい。」
これらの町は、故意ではなく人を死なせてしまった者を保護するための場所でした。
その人は町へ逃げ込み、町の長老たちに事情を説明します。
そして正式な裁判が行われるまで守られるのです。
ここで重要なのは、逃れの町は罪を見逃す場所ではないということです。
無条件に保護する場所でもありません。
きちんと事実を調べ、故意の殺人なのか、事故だったのかを判断するための制度でした。
神は感情的な復讐ではなく、公正な裁きを求められたのです。
六つの逃れの町(20:7-9)
イスラエルは六つの町を逃れの町として定めます。
ヨルダン川西側
- ケデシュ(ナフタリ族)
- シェケム(エフライム族)
- ヘブロン(ユダ族)
ヨルダン川東側
- ベツェル(ルベン族)
- ラモテ(ガド族)
- ゴラン(マナセ半部族)
これらの町はイスラエル全土にバランスよく配置されました。
どこに住む人でも比較的短時間で逃げ込めるようにするためです。
神は制度を与えるだけでなく、それが実際に機能するよう備えられたのです。
また、この制度は「イスラエル人にも、彼らの間に寄留する者にも」適用されました。
神の正義は、民族によって変わるものではありませんでした。
逃れの町に表される神の心
この制度から見えてくるのは、神のご性質です。
まず神は正義を重んじられます。
人の命は尊いものです。
そのため、人の死を軽く扱われません。
同時に神はあわれみに富んでおられます。
事故で人を死なせてしまった者が、ただちに報復によって命を奪われることも望まれませんでした。
神は正義とあわれみの両方を大切にされるのです。
この箇所が私たちに語ること
ヨシュア記20章は、神が正義とあわれみの両方を持っておられることを教えています。
人間はしばしばどちらかに偏ります。
厳しさだけを求めたり、逆にあわれみだけを求めたりします。
しかし神は正しく裁かれると同時に、弱い者を守られるのです。
また、この章は神が避け所を備えてくださるお方であることを教えています。
逃れの町は、恐れの中にいる人が逃げ込める場所でした。
詩篇には何度も、「主は私の避け所」という告白が出てきます。
逃れの町は、その真理を具体的な形で表していました。
さらに、この制度はキリストを指し示しているとも考えられます。
罪の結果として裁きを受けるべき私たちに対して、神は救いの道を備えてくださいました。
逃れの町が命を守る場所であったように、キリストは罪人が逃げ込むことのできる真の避け所なのです。
この箇所の中心メッセージ
神は逃れの町を定めることによって、公正な裁きとあわれみの両方を示された。
人の命は尊重されなければならないが、同時に事故によって人を死なせた者にも守られる道が備えられた。
神は正義の神であると同時に避け所を与える神であり、ご自身の民をあわれみをもって導かれるのである。
「これらはイスラエルのすべての人々、および彼らの間に寄留する者のための逃れの町であった。」(ヨシュア20:9)

