第一サムエル記29章 神による守り ── ダビデを戦場から遠ざける主(29:1-11)
第一サムエル記29章は、一見すると何も起こらない章のように見えます。
しかし実際には、神の見えない守りが最も鮮やかに現れている章の一つです。
27章でダビデは不安からペリシテ人の地へ移り住み、アキシュ王の信頼を得ていました。
その結果、ダビデはペリシテ軍と共にイスラエルとの戦いへ向かうことになります。
これは極めて危険な状況でした。
もしペリシテ側として戦えば、同胞イスラエルと戦うことになります。
反対にイスラエル側に寝返れば、アキシュを裏切ることになります。
どちらを選んでも大きな問題でした。
しかし神は、ダビデが抜け出せなくなっていたその状況から、ご自身の方法で救い出されるのです。
この章の中心は、神は私たちが行き詰まった状況の中でも、見えないところで守りの御手を働かせておられるということです。
背景
28章ではサウルがエン・ドルの口寄せの女のもとへ行き、神の裁きを宣告されました。
一方ダビデは、その頃ペリシテ軍と共に北上していました。
サウルが神なき孤独の中へ進んでいくのに対し、ダビデは神の守りの中に置かれています。
しかし本人はまだそのことに気づいていませんでした。
ペリシテ軍の集結(29:1-2)
ペリシテ人はイズレエル平原に向かって進軍します。
各地の領主たちが軍勢を率いて集まって来ました。
その中に、ダビデとその六百人もいたのです。
アキシュはダビデを信頼していました。
そのため彼を自軍の一員として連れて来たのでした。
しかし他のペリシテ人の領主たちは違う見方をしていました。
領主たちの反対(29:3-5)
領主たちは驚いて尋ねます。
「このヘブル人たちは何者だ。」
アキシュは、「これはサウルの家来であったダビデだ。」と説明します。
さらに、「私は彼に何の落ち度も見つけなかった。」と言って弁護しました。
しかし領主たちは納得しません。
彼らはこう言います。
「戦いの最中に我々に敵対するかもしれない。」
そして、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」という有名な歌まで持ち出します。
かつてイスラエルで歌われていた歌が、今度はダビデを戦場から遠ざける理由となったのです。
神は思いもよらない方法を用いられます。
アキシュの苦悩(29:6-9)
アキシュは困惑しました。
彼は本当にダビデを信頼していたからです。
彼は言います。
「あなたは私には神の使いのように良かった。」
それほどダビデを高く評価していました。
しかし領主たちの意見を無視することはできません。
そこでアキシュはダビデに、「あなたは帰りなさい。」と命じます。
一見すると、これはダビデにとって屈辱のように見えます。
しかし実際には、大きな救いでした。
ダビデの帰還(29:10-11)
ダビデは形式的に抗議します。
「私は何をしたのでしょうか。」
しかし命令は変わりません。
そこでダビデと部下たちは翌朝早く出発し、ツィクラグへ戻ります。
一方ペリシテ軍はイズレエルへ向かいました。
こうしてダビデは、イスラエルとの戦いに参加することなく済んだのです。
もしこの戦場に残っていたなら、後の王としての歩みに深刻な影響を与えていたでしょう。
しかし神はその前に彼を退かせられました。
ダビデ自身は気づいていなくても、神は彼を守っておられたのです。
この箇所が私たちに語ること
第一サムエル記29章は、神の見えない守りを教えています。
ダビデは自らの判断によってペリシテ人の地へ移りました。
その結果、非常に難しい状況へ入り込んでしまいました。
しかし神は、その失敗さえも超えて働かれました。
神の守りは、私たちが正しく行動した時だけに与えられるものではありません。
時には私たちの弱さの中でも働く恵みなのです。
また、この章は神が閉ざされる扉の意味を教えています。
ダビデは戦場へ行こうとしていました。
しかし神はその道を閉ざされました。
私たちも時に、「なぜ道が開かれないのだろう」と思うことがあります。
しかし後になって、その閉ざされた道こそ神の守りだったと気づくことがあるのです。
さらに、この章は神の主権を教えています。
ペリシテ人の領主たちは政治的な理由で反対しました。
しかしその背後で働いていたのは神でした。
神は敵でさえ用いて、ご自身の計画を守られるお方なのです。
この箇所の中心メッセージ
ダビデはペリシテ軍と共に戦場へ向かっていたが、他の領主たちの反対によって帰されることになった。
一見すると失望に見える出来事だったが、実際には神がダビデをイスラエルとの戦いから守るための導きであった。
神は私たちが気づかないところでも働き、行き詰まった状況の中からご自身の方法で救い出してくださるのである。
「あなたは帰りなさい。安心して行きなさい。」(第一サムエル29:7)

