ルカ5:12-26 癒しと罪の赦し

罪を赦し、回復を与える救い主

ルカはここで二つの癒しの出来事を並べて記します。

一人はツァラアトを患う人、 もう一人は中風の人です。

どちらも自分の力ではどうすることもできない状態にありました。

しかしイエスは、単に病を癒すだけでなく、人々を神との関係へ回復される方であることを示されます。

ルカが伝えたいのは、イエスの救いは体だけでなく、人間の最も深い問題である罪にまで及ぶということです。


汚れた者に手を伸ばされる主

ある町で、全身がツァラアトに冒された人がイエスのもとに来ました。

当時ツァラアトは単なる病気ではありませんでした。

患者は共同体から隔離され、人々との交わりを失い、宗教的にも「汚れている者」と見なされていました。

その人はイエスの前にひれ伏して言います。

「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります。」

彼はイエスの力を疑っていません。

問題はイエスがそうしたいと思われるかどうかでした。

するとイエスは手を伸ばしてその人に触れ、

「わたしの心だ。きよくなれ。」

と言われます。

本来なら汚れた者に触れれば、その汚れが触れた側に移ると考えられていました。

しかしイエスの場合は逆です。

汚れがイエスに移るのではなく、イエスのきよさがその人を回復させるのです。

ここに福音の姿があります。

イエスは汚れた者を避けるのではなく、近づいてくださる方なのです。


名声よりも父との交わり

この奇跡によってイエスの評判はますます広がりました。

多くの人々が癒しを求めて集まって来ます。

しかしルカは興味深いことを記しています。

「イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。」

人々の人気が高まる時こそ、イエスは父なる神との交わりを大切にされました。

ルカ福音書では、重要な場面ごとに祈るイエスの姿が描かれます。

イエスの力の源は、父との関係にありました。


屋根を壊してでも会いたい主

次に語られるのは中風の人の出来事です。

人々が家いっぱいに集まっていたため、友人たちは彼をイエスのもとへ運ぶことができませんでした。

そこで彼らは屋根をはがし、中風の人を寝床のままイエスの前に降ろします。

その時イエスは、

「彼らの信仰を見て」

と言われました。

ここで注目されているのは、中風の人だけではなく、彼を運んできた人々の信仰です。

真の信仰とは、困難があっても主のもとへ来ることを諦めない姿勢なのです。


「あなたの罪は赦された」

ところがイエスは、すぐに病を癒そうとはされませんでした。

まずこう言われます。

「友よ。あなたの罪は赦された。」

この言葉に律法学者たちは衝撃を受けます。

なぜなら罪を赦すことができるのは神だけだからです。

彼らの理解自体は間違っていませんでした。

問題は、イエスが誰であるかを理解していなかったことです。

イエスはここで、ご自身が単なる預言者ではなく、神の権威を持つ方であることを示されます。


人の子は罪を赦す権威を持つ

イエスは彼らの心を見抜き、

「どちらが易しいか。『あなたの罪は赦された』と言うことか、それとも『起きて歩け』と言うことか。」

と問われます。

一見すると答えに迷いますが、人間的に考えれば、

「あなたの罪は赦された」

と言う方が簡単です。

なぜなら、本当に罪が赦されたかどうかは目に見えないからです。

それに対して、

「起きて歩け」

と言ったなら、その人が実際に立ち上がれるかどうかですぐに真偽が分かります。

しかし実際には、罪を赦すことの方がはるかに大きなことです。

病を癒すことは体を回復させますが、罪の赦しは人を神との関係へ回復させるからです。

そしてその赦しを実現するために、イエスは後に十字架でご自身の命を捧げられることになります。

そこでイエスは、

「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるため」

と言われ、中風の人に命じられます。

「起きて、寝床を担ぎ、家に帰りなさい。」

すると彼は直ちに立ち上がりました。

つまりイエスは、目に見えない「罪の赦し」が真実であることを示すために、目に見える「癒し」を行われたのです。

病の癒しは奇跡そのものが目的ではありませんでした。

それは、イエスに罪を赦す神の権威があることを証明するしるしだったのです。


この箇所が私たちに語ること

私たちはしばしば、自分の問題や苦しみの解決を第一に願います。

しかしイエスは、人間の最も深い必要が罪の赦しであることを示されました。

もちろん主は病や苦しみにも関心を持っておられます。

しかしそれ以上に、私たちを神との関係へ回復することを望んでおられます。

またツァラアトの人にも中風の人にも共通しているのは、自分では自分を救えなかったことです。

救いは人間の努力ではなく、イエスの憐れみと権威によって与えられるのです。


この箇所の中心メッセージ

イエスは病を癒すだけでなく、罪を赦す権威を持つ救い主である。

主は汚れた者や弱った者を退けず、近づき、回復を与えてくださる。

そして人間の最も深い必要である神との和解を実現してくださる。

「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるためです。」(ルカ5:24)