ルカ9:1-17 十二弟子の派遣と五千人の給食
神の国の働きに参加する弟子たち
これまで弟子たちは、イエスの教えを聞き、数々の奇跡を見てきました。
しかしこの箇所では、イエスは弟子たちを単なる見学者のままにはされません。
十二弟子を遣わし、ご自身の働きに参加させられます。
そして五千人の給食の奇跡を通して、神の国の働きは人間の力ではなく、主が備えてくださることによって成し遂げられることを教えられます。
十二弟子の派遣
イエスは十二弟子を呼び集め、
悪霊を追い出し、病気を治す力と権威
を与えられました。
そして彼らを遣わし、
神の国を宣べ伝え、病人を癒す
よう命じられます。
ここで大切なのは、弟子たちが自分の力で働いたのではないということです。
力も権威も主から与えられたものでした。
神の働きは、人間の能力によって支えられるのではなく、主から与えられる恵みによって進められるのです。
主に依存するよう命じられる
イエスはさらに、
杖も袋もパンも金も持って行ってはいけません
と命じられます。
これは計画性を否定するためではありません。
弟子たちが、自分たちの備えではなく神の備えに頼ることを学ぶためでした。
弟子として歩むとは、自分の力や財産に依存するのではなく、神が必要を満たしてくださることを信頼することです。
弟子たちは出て行き、至る所で福音を宣べ伝え、多くの人々を癒しました。
ヘロデの戸惑い
そのころ、ヘロデはイエスについての噂を聞き、混乱していました。
ある人は、
「ヨハネがよみがえった」
と言い、
またある人は、
「エリヤが現れた」
と言いました。
しかしヘロデは、
「ヨハネなら私が首をはねたのだ。」
と言います。
人々はイエスに強い関心を持ちながらも、その正体を正しく理解できていませんでした。
ルカはここで、
「イエスはいったい誰なのか」
という重要な問いを読者に提示しています。
この問いは後のペテロの告白へとつながっていきます。
人々を憐れまれる主
弟子たちが戻って来ると、イエスは彼らを連れてベツサイダ近くの静かな場所へ退かれます。
しかし群衆はそれを知り、後を追って来ました。
本来なら休息が必要な時でしたが、イエスは人々を拒まれませんでした。
ルカは、
イエスは彼らを受け入れ、神の国について語り、癒しを必要とする人々を癒された
と記しています。
イエスの働きの根底には、常に人々への憐れみがありました。
五つのパンと二匹の魚
夕方になると、弟子たちは群衆を解散させようとします。
食べ物がなかったからです。
しかしイエスは言われます。
「あなたがたで、この人たちに食べる物をあげなさい。」
弟子たちは困惑します。
彼らの手元には、
五つのパンと二匹の魚
しかありませんでした。
群衆は男だけで五千人ほどいたのです。
人間的に考えれば不可能な状況でした。
主の手に渡されたもの
しかしイエスはパンと魚を取り、
- 天を見上げて感謝し
- それを裂き
- 弟子たちに渡し
- 群衆に配らせました
すると皆が十分に食べ、
余ったパン屑だけで十二かごも集まりました。
ここでルカが強調しているのは、パンの量ではありません。
弟子たちには足りないものしかありませんでした。
しかし、そのわずかなものが主の手に渡された時、多くの人々を養う十分なものとなったのです。
新しいモーセ、新しい牧者
この奇跡は旧約聖書を思い起こさせます。
神は荒野でイスラエルにマナを与えられました。
また詩篇23篇では、主が牧者として人々を養われます。
イエスはここで、ご自身が神の民を養う真の牧者であることを示されました。
人々が必要としているものを豊かに与える方なのです。
この箇所が私たちに語ること
弟子たちは、
「私たちにはこれしかありません」
と言いました。
しかしイエスは、
「それをわたしに渡しなさい」
と言われたかのようです。
神はまず大量の資源や能力を求めておられるのではありません。
今あるものを主に差し出すことを求めておられます。
そして主は、その小さなものを用いて、ご自身の働きを進められるのです。
また、この箇所は神の国の働きが人間の力ではなく、主の備えによって支えられていることを教えています。
この箇所の中心メッセージ
イエスは弟子たちを神の国の働きへ遣わし、必要な力と備えを与えられる。
また、主は人には足りなく見えるものを豊かに用いて人々を養われる。
神の働きは人間の力ではなく、主の権威と恵みによって成し遂げられる。
「あなたがたで、この人たちに食べる物をあげなさい。」(ルカ9:13)
「皆が食べて満腹した。そして余ったパン切れを集めると、十二かごあった。」(ルカ9:17)

