ルカ23:26-43 十字架刑

王は十字架の上で救いを成し遂げられる

ピラトとヘロデによる裁判の後、イエスはついに十字架刑へと引き渡されます。

ここからルカが描くのは、単なる悲劇ではありません。

神の国の王が、ご自身の民を救うために命を差し出される姿です。

人々はイエスを敗北者だと思いました。

しかし実際には、十字架こそ神の救いが完成する場所でした。


シモンが十字架を負う

イエスは処刑場へ連れて行かれます。

その途中で、キレネ人シモンが十字架を負わされます。

ルカは短く記すだけですが、象徴的な場面です。

これまでイエスは、

「自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」

と弟子たちに語って来られました。

そして今、実際に十字架を負う姿が描かれています。

弟子道について語られた主ご自身が、まず十字架の道を歩まれるのです。


エルサレムの娘たちへの言葉

多くの人々がイエスに従い、その中には泣き悲しむ女性たちもいました。

しかしイエスは言われます。

「わたしのために泣かないでください。むしろ自分と自分の子どもたちのために泣きなさい。」

主はご自分の苦しみよりも、これから来るエルサレムへの裁きを見ておられました。

ここでも19章や21章で語られたエルサレムの滅びが背景にあります。

イエスは最後までご自身より人々のことを思っておられるのです。


罪人たちと共に数えられる

イエスは二人の犯罪人と共に十字架につけられます。

これはイザヤ53章の、

「彼は背く者たちとともに数えられた」

という預言を思い起こさせます。

神の御子が罪人たちの中に置かれています。

しかしそれは偶然ではありません。

救い主は罪人を救うため、その位置に立たれたのです。


「父よ、彼らをお赦しください」

ルカだけが記している有名な言葉があります。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分かっていないのです。」

十字架の上で最初に語られた言葉が赦しであることは驚くべきことです。

イエスを殺そうとしている人々、

嘲っている人々、

見捨てた弟子たち。

そのすべてに対して主は赦しを願われます。

ここに神の国の王の姿があります。

王は敵を滅ぼすことによってではなく、赦すことによって勝利されるのです。


嘲られる王

指導者たちは言います。

「他人は救った。もし神のキリストなら、自分を救えばよい。」

兵士たちも、

「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救え。」

と嘲ります。

皮肉なことに、彼らは真理の一部を語っています。

イエスは確かに救い主であり王です。

しかし主はご自分を救うためには来られませんでした。

他の人々を救うために来られたのです。

もし十字架から降りれば、ご自身は救われます。

しかし私たちの救いは失われます。

だから主は十字架にとどまられたのです。


二人の犯罪人

二人の犯罪人も対照的に描かれています。

一人は言います。

「おまえはキリストではないか。自分と私たちを救え。」

彼は最後まで自分中心です。

苦しみから逃れることしか考えていません。

しかしもう一人は言います。

「私たちは自分の行いの報いを受けているのだ。しかしこの方は悪いことを何もしていない。」

彼は自分の罪を認めます。

そしてイエスに向かって言います。

「イエスさま。あなたの御国においでになる時、私を思い出してください。」


御国への信仰

この犯罪人は興味深い人物です。

イエスは十字架につけられています。

敗北したように見えます。

しかし彼はその方に向かって、

「あなたの御国」

と言います。

つまり彼は、目の前の敗北の向こうにある王国を信じていたのです。

ここに真の信仰があります。

見える状況ではなく、王であるキリストに望みを置いているのです。


「今日、あなたは共にパラダイスに」

するとイエスは言われます。

「まことにあなたに言います。あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいます。」

ルカ福音書の中でも最も慰めに満ちた約束の一つです。

この人は何も功績を積めませんでした。

善行を重ねる時間もありませんでした。

しかし彼は王を認め、その憐れみにすがりました。

そして主は彼を受け入れられます。

ここには、

  • 取税人の祈り
  • 放蕩息子の帰還
  • ザアカイの救い

と同じ恵みが流れています。

救いは功績によるのではなく、王の憐れみによるのです。


神の国と十字架

この場面は、ここまで語られてきた神の国のテーマを集約しています。

人々は力による王国を期待しました。

しかし神の国は十字架を通して来ました。

また、

神の国に入るとは何か

という問いへの一つの答えもここにあります。

この犯罪人は、神学的知識も、宗教的功績も、何も持っていませんでした。

しかし王を認め、その憐れみに望みを置きました。

すると主は、

「あなたはわたしと共にいる」

と約束されたのです。


この箇所が私たちに語ること

十字架は人間の目には敗北に見えます。

しかし神の目には勝利です。

イエスは最後まで他者を愛し、赦し、救いを与えられました。

また二人の犯罪人は、すべての人への問いかけでもあります。

同じ十字架の前にいながら、

一人は拒み、

一人は信頼しました。

神の国は今も王を認める者へ開かれています。

そして主は今も、

「あなたはわたしと共にいる」

と招いておられるのです。


この箇所の中心メッセージ

十字架は敗北ではなく神の救いが完成する場所である。

イエスは最後まで赦しと憐れみを示され、王として御国を開かれた。

救いは功績によるのではなく、十字架の王に信頼する者に与えられる。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分かっていないのです。」(ルカ23:34)

「まことにあなたに言います。あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいます。」(ルカ23:43)