マルコ6:1-13 ナザレでの拒絶
郷里で教えるイエス(6:1-3)
イエスは弟子たちを伴って故郷ナザレへ帰られます。
安息日に会堂で教え始められると、多くの人々は驚きます。
しかし彼らは素直に信じようとはせず、
「この人は大工ではないか。」
「マリアの子ではないか。」
と言いました。
人々はイエスの知恵や力あるわざに驚きながらも、自分たちが知っている「ナザレのイエス」という先入観に縛られていました。
その結果、
「人々はイエスにつまずいた。」
のです。
預言者は郷里で尊ばれない(6:4-6)
イエスは彼らに言われます。
「預言者が尊ばれないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
ナザレの人々はイエスについて多くを知っていました。
しかし、本当に知るべきことを知りませんでした。
彼らは身近すぎたために、神が目の前で働いておられることを認められなかったのです。
そしてイエスは彼らの不信仰に驚かれました。
主は数人の病人を癒された以外、多くの力あるわざを行われませんでした。
それは力がなかったからではなく、人々が主を拒み続けたからです。
十二人を遣わす主(6:7-11)
その後イエスは十二弟子を呼び寄せ、二人ずつ遣わされます。
そして、
汚れた霊を追い出す権威
を与えられました。
また旅において、
- 杖一本のほかは持たないこと
- パンや金を携えないこと
- 神の備えを信頼すること
を教えられます。
弟子たちは、自分の力ではなく主の権威によって遣わされるのです。
さらに受け入れられない町では、
「足の裏のちりを払い落としなさい。」
と言われました。
福音への応答の責任は、聞く人にもあることが示されています。
福音を携えて出て行く弟子たち(6:12-13)
弟子たちは出て行き、
「悔い改めるように」
人々へ宣べ伝えました。
そして、
- 多くの悪霊を追い出し
- 多くの病人を癒し
- 油を塗って回復させました
これまでイエスが行ってこられた働きが、今や弟子たちを通しても広がり始めます。
神の働きはイエスだけに留まらず、遣わされた者たちによってさらに前進していくのです。
この箇所が私たちに語ること
ナザレの人々はイエスを知っているつもりでしたが、本当の意味では理解していませんでした。
私たちも長年聖書を読み、教会に通っていても、主を自分の先入観の中へ閉じ込めてしまうことがあります。
また弟子たちの派遣は、神の働きが一人の指導者だけに委ねられているのではないことを教えています。
主はご自身の民を遣わし、共に福音の働きへ参加させてくださるのです。
この箇所の中心メッセージ
ナザレの人々はイエスを身近な存在として知っていたため、かえって神の子として受け入れることができなかった。
一方イエスは十二弟子を遣わし、ご自身の働きを広げ始められた。
不信仰は神の働きを拒むが、信頼して遣わされる者たちは福音を運ぶ器として用いられるのである。
「人々はイエスにつまずいた。」(マルコ6:3)
「預言者が尊ばれないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」(マルコ6:4)
「イエスは十二人を呼び寄せ、二人ずつ遣わし始められた。」(マルコ6:7)
「彼らは出て行って、人々に悔い改めを宣べ伝えた。」(マルコ6:12)

