マルコ9:1-13 変貌の山
栄光の姿が現される(9:1-4)
イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登られます。
そこで弟子たちの前でその姿が変わりました。
「その衣は、非常に白く輝き、この世のさらし職人でも、これほど白くはできないほどであった。」
さらにエリヤとモーセが現れ、イエスと語り合っていました。
モーセは律法を、エリヤは預言者を代表する人物です。
この場面は、律法と預言者が共にイエスを指し示していることを表しています。
ペテロの提案(9:5-6)
圧倒されたペテロは言います。
「先生。私たちがここにいることはすばらしいことです。」
そして、
「幕屋を三つ造りましょう。」
と提案します。
しかしマルコは、
「ペテロは何を言ったらよいのか分からなかった。」
と説明しています。
弟子たちは栄光を見ましたが、その意味をまだ理解していませんでした。
彼らはこの栄光のまま留まりたいと思いましたが、イエスは十字架への道を進まなければならなかったのです。
「これはわたしの愛する子」(9:7-8)
すると雲が彼らを覆い、
雲の中から声が聞こえます。
「これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け。」
これはイエスの受洗の時(1:11)に聞こえた父なる神の声を思い起こさせます。
しかし今回は弟子たちへ向けられています。
神は弟子たちに、
モーセでも、
エリヤでもなく、
イエスに聞き従うべきことを示されたのです。
やがて周囲を見ると、イエスだけがおられました。
復活まで語るな(9:9-10)
山を下りる途中、イエスは弟子たちに命じられます。
「人の子が死人の中からよみがえるまでは、今見たことをだれにも話してはならない。」
弟子たちはこの命令を守りますが、
「死人の中からよみがえる」
とはどういう意味なのか分かりませんでした。
ペテロはイエスをキリストと告白しましたが、十字架と復活についてはまだ理解できていなかったのです。
エリヤはすでに来た(9:11-13)
弟子たちは尋ねます。
「なぜ律法学者たちは、まずエリヤが来ると言っているのですか。」
イエスは、エリヤが来るという預言は正しいと認められます。
しかし、
「エリヤはすでに来た。」
とも言われます。
これはバプテスマのヨハネを指しています。
ヨハネはエリヤのように主の道を備えました。
しかし彼は拒まれ、苦しみを受けました。
同じように人の子もまた苦しみを受けることになるのです。
栄光と十字架
この出来事は、マルコ福音書の重要な転換点です。
直前の8章では、
「自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」
と教えられました。
その直後に弟子たちはキリストの栄光を見ます。
これは、
十字架が最後ではない
ことを示しています。
受難の先には栄光があります。
父なる神は、十字架へ向かわれるイエスこそご自身の愛する子であることを確認されたのです。
この箇所が私たちに語ること
私たちはしばしば栄光だけを望み、苦しみを避けたいと思います。
ペテロも山の上に留まりたいと願いました。
しかしイエスは山の上ではなく、十字架への道を進まれました。
神は弟子たちに、
「彼の言うことを聞け。」
と命じられます。
私たちも自分の考えや願いではなく、キリストのことばに耳を傾けるよう招かれているのです。
この箇所の中心メッセージ
イエスは変貌の山で栄光の姿を現し、父なる神は「これはわたしの愛する子」と証言された。
しかしその栄光は十字架を避けるためではなく、十字架の先にあるものだった。
弟子たちはキリストの栄光を見ると同時に、その方のことばに従うよう招かれている。
「これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け。」(マルコ9:7)

