マルコ9:38-50 弟子道の教え
わたしたちの味方とはだれか(9:38-41)
ヨハネはイエスに報告します。
「先生。私たちについて来ない人が、あなたの名によって悪霊を追い出していたので、やめさせようとしました。」
弟子たちは、自分たちの仲間ではない人が主の名によって働いていることを快く思いませんでした。
しかしイエスは言われます。
「やめさせてはいけません。」
主の名によって真実に働いているなら、その人は敵ではありません。
弟子たちは「自分たちのグループ」に目を向けていましたが、イエスは神の働き全体を見ておられました。
小さな者をつまずかせる罪(9:42)
続いてイエスは厳しい警告を語られます。
「わたしを信じるこの小さい者たちの一人をつまずかせるようなことをする者は…」
ここでいう「小さい者」とは、子どもだけではなく、主を信じる弱い者たちを含んでいます。
イエスは弱い者を軽んじません。
むしろ、そのような者を傷つけることの重大さを強調されます。
弟子道とは、自分が高められることではなく、弱い者を守り支えることでもあるのです。
罪との徹底的な戦い(9:43-48)
イエスは、
手があなたをつまずかせるなら切り捨てなさい
足があなたをつまずかせるなら切り捨てなさい
目があなたをつまずかせるならえぐり出しなさい
と語られます。
もちろん文字通りに体を傷つけることを命じているのではありません。
それほどまでに罪を深刻に扱いなさい、という強い表現です。
弟子道は罪を軽く考える道ではありません。
神との歩みを妨げるものを断固として退ける生き方なのです。
塩で味つけられた弟子(9:49-50)
最後にイエスは塩のたとえを語られます。
塩は腐敗を防ぎ、味を与えるものでした。
しかし塩気を失えば役に立ちません。
そこで主は言われます。
「あなたがたは、自分自身のうちに塩を保ちなさい。そして互いに平和に過ごしなさい。」
弟子たちは直前まで、
「だれが一番偉いか」
を論じ、
「私たちの仲間ではない」
として人を排除しようとしていました。
しかしイエスは彼らに、争いではなく平和を求めるよう教えられます。
真の弟子とは、神に忠実でありながら、人々との平和を追い求める者なのです。
この箇所が私たちに語ること
私たちは知らないうちに、
- 自分たちの仲間だけを正しいと思ったり
- 弱い人を軽視したり
- 罪を甘く見たり
することがあります。
しかしイエスは、真の弟子道がへりくだりと愛に満ちたものであることを教えられました。
弟子は自分の立場を守る人ではありません。
神の働きを喜び、弱い人を守り、自分自身の罪と真剣に向き合う人なのです。
この箇所の中心メッセージ
イエスは弟子たちに、仲間意識や競争心ではなく、へりくだりと愛を持って歩むよう教えられた。
弱い者を大切にし、罪と真剣に向き合い、互いに平和を保つことが真の弟子道である。
「あなたがたは、自分自身のうちに塩を保ちなさい。そして互いに平和に過ごしなさい。」(マルコ9:50)


