マルコ11:1-11 栄光の入城

王の都への接近(11:1-3)

イエスはエルサレム近郊のベテパゲとベタニアに来られます。

そこで二人の弟子を遣わし、

「まだだれも乗ったことのない子ろば」

を連れて来るよう命じられます。

この出来事は偶然ではありません。

イエスはご自身がエルサレムへ王として入城することを意識して行動しておられました。

すべては神の計画の中で進んでいたのです。


子ろばに乗られる王(11:4-7)

弟子たちが行ってみると、イエスが言われたとおり子ろばがつながれていました。

それを連れて来て自分たちの上着を掛けると、イエスはその上に乗られます。

これはゼカリヤ9:9の預言を思い起こさせます。

「見よ。あなたの王があなたのところに来る。」

「柔和で、ろばに乗って。」

当時の王は戦争に向かう時には軍馬に乗りました。

しかしイエスは子ろばに乗って来られます。

それは、武力による王ではなく、平和をもたらす王として来られたことを示しています。


ホサナの叫び(11:8-10)

多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、野から切って来た枝を道に敷きました。

そして群衆は叫びます。

「ホサナ。」

「祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」

「祝福あれ。われらの父ダビデの来るべき国に。」

人々はイエスをダビデの子として歓迎しました。

彼らはメシアの到来を期待していました。

しかし多くの人々は、ローマ支配を打ち破る政治的王を期待しており、十字架へ向かう王を理解してはいませんでした。


栄光と十字架のはざまで(11:1-10)

この場面は一見すると勝利の入城に見えます。

群衆は歓声を上げ、王としてイエスを迎えました。

しかし読者はすでに知っています。

この王は王座へ向かうのではなく、

十字架へ向かっているのです。

数日後には、

「ホサナ」

と叫んだ群衆の中から、

「十字架につけろ」

という声が上がることになります。

マルコはここで、真の王権が十字架によって現されることを描いています。


神殿を見回られる主(11:11)

イエスはエルサレムへ入り、神殿に行かれます。

そしてすべてを見回した後、夕方になったため十二弟子と共にベタニアへ戻られました。

一見すると静かな終わり方です。

しかしこれは嵐の前の静けさでした。

主は神殿の状況を見ておられ、翌日から始まる宮きよめへ向けて備えておられたのです。


この箇所が私たちに語ること

私たちもイエスを歓迎しますが、自分の期待どおりに働いてほしいと願うことがあります。

群衆も王を求めていましたが、その王は自分たちの思い描く王ではありませんでした。

イエスは平和の王であり、十字架によって救いをもたらす王です。

真の弟子とは、自分の期待を押しつけるのではなく、この王が進まれる道に従う者なのです。


この箇所の中心メッセージ

イエスは子ろばに乗ってエルサレムへ入城し、約束された平和の王であることを示された。

しかしその王権は武力によるものではなく、十字架によって現されるものであった。

群衆は歓呼したが、真の王の姿を理解することが求められていた。

「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」(マルコ11:9)