申命記17:14-17(17:1-18:22)申命記10『真の王、真の預言者に聞く』2026/09/27 けんたろ
申命記17:14-17(17:1-18:22)
17:14 あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられる地に入って行って、それを占領し、そこに住むようになったとき、あなたが「周りのすべての国々と同じように私も自分の上に王を立てたい」と言うなら、
17:15 必ず、あなたの神、【主】が選ばれる者をあなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない異国人をあなたの上に立てることはできない。
17:16 ただし王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすために民をエジプトに戻らせてはならない。【主】は「二度とこの道を戻ってはならない」とあなたがたに言われた。
17:17 また王は、自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。
申命記12章では礼拝の中心について学びました。
13〜16章では、 真実を見極めることについて語られました。
そして17〜18章では、「誰の声を聞いて生きるのか」ということがテーマになります。
人は必ず何かの声に従って生きています。
自分の考え、周囲の意見、社会の価値観、あるいは権力のある人の言葉。
では神の民は何を基準として生きればよいのでしょうか。
1. 王の上にも神がおられる(17章)
17章後半では王について語られます。
イスラエルが王を求める時代が来ることを、神はすでにご存じでした。
それが実際に起こるのはサムエル記の時代でしたが、人々は神様を王として直接聞き従うのではなく、他の民族と同じように人間の王に導かれることを求めるようになります。
しかし、神さまは王に対して不思議な命令を与えました。
- 馬を増やしてはならない
- 妻を増やしてはならない
- 金銀を増やしてはならない
普通なら、強い軍隊、豊かな財産、大きな権力、それが王の強さだと思います。
しかし神さまは違いました。
王に求められたことはただ一つです。
律法を書き写し、毎日それを読みなさい。
なぜでしょうか。
それは、王であっても神の言葉の下に置かれるためです。
イスラエルの王は、本来神さまご自身です。
人間の王に求められていたのは、ただ率先して神さまに従う者として民の前に立つことだったのです。
2. 人間の王には限界があった
しかしイスラエルの歴史を見ると、王たちは次々に失敗していきます。
サウルは神の言葉に従いませんでした。
ソロモンは最初は良かったのに、やがて妻をたくさんめとるようになり、主から心が離れ、最終的には申命記17章で戒められていたことを全て破ってしまいました。
多くの王たちは偶像礼拝へと民を導きました。
つまり、人間の王は完全ではなかったのです。
イスラエルの民の中には、 自然にこのような思いが起こるようになります。
本当に神の心を行う王は現れるのだろうか。
3. 神は預言者を起こされる(18章)
次に18章を見ていきましょう。
主はこのように言われました。
申命記 18:18 わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのような一人の預言者を起こして、彼の口にわたしのことばを授ける。彼はわたしが命じることすべてを彼らに告げる。
預言者とは、神の言葉を伝える人です。
それは、神の声を直接聞くことが怖いと言う民の思いに神さまが答えた結果でした。
王が民を導き、預言者は神の声を民に届けます。
つまり17章と18章は、「王」と「預言者」という別々の話ではありません。
どちらも神の言葉を中心にした話なのです。
4. 偽りの声に気をつけなさい
18章では、偽りの声に聴き従わないように厳重に注意されています。
申命記 18:10 あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、
18:11 呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない。
まずは、神さま以外の、いわゆるスピリチュアル系のものから離れるように命じられています。
これは、私たちの文化にも深く根付いているものですから、気を付ける必要がありますね。
でも、それだけではありません。
神さまの名によって預言する、偽預言者に関しても厳重に注意されています。
申命記 18:20 ただし、預言者であっても、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする者がいるなら、その預言者は死ななければならない。」
神さまは民に、真実と偽りを見分けるよう求められているのです。
本物がいるなら、偽物も現れます。
神の民は、王の言葉だから信じるというのではいけません。
預言者だから信じるのでもありません。
神の言葉に従う者でなければならないのです。
つまり、肩書きではなく、 神から来ているかどうかが重要なのです。
5. 真の王、真の預言者であるキリスト
そして新約に来ると、17章と18章の二つの流れが一人の方に集まります。
それがイエス・キリストです。
イエスは、王の王として来られました。
同時に、神の言葉を完全に語る預言者として来られました。
申命記18章の「その人に聞き従わなければならない」という言葉は、
最終的にキリストを指し示しています。
だから17〜18章が私たちに問いかけるのは、「あなたは誰の声を聞いて生きているのか」ということです。
今日の私たちへの問いかけ
現代の教会の問題は、王と預言者の立場に司祭や牧師を置いてしまっていることです。
イスラエルの民がしたのと同じ失敗を繰り返しているようです。
でもここで肝心なのは、皆さんが誰の声に耳を澄ませるかということです。
私たちは、主を王としているでしょうか?
神の声に耳を澄ませ、それを第一にしているでしょうか?
その声に聞き従うことこそ、 神の民として歩む道なのです。


