愛してるから

ローマ 4:4 働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。
4:5 しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。

神さまは、僕たちが何かをしたから愛してくれるのではない。 
行いによってではなく、信仰によって、正しいとみなされるんだって・・・。 

じゃあ、僕たちクリスチャンは何のために良いことをするんだろう。 
僕たちが神さまのためにどんなに働いても、何の意味もないんじゃないだろうか? 
よくよく考えてみれば、神さまは全知全能なんだから、僕たちの力なんか借りる必要なんて何もないじゃないか!? 

話は変わるけど、僕には娘がいる。 
うちの娘は、絵を描くことが大好きなんだ。 

その娘が小さかったころ、僕のために絵を描いて持ってきてくれたことがあった。 
「これは何の絵?」と聞くと、「パパ」と答えてくれた。 
まだ幼かった彼女が描いてくれたその絵は、辛うじて人だとわかるくらいのものだったけれど、確かに僕の絵なんだと思った。 

今でも、その絵は、僕にとっては宝物だ。 
他の人には、ただの落書きにしか見えないだろう。 
僕に似ているとは言えないだろうし、配色のセンスがいいわけでもない。
メルカリやYahooオークションに出店したって、誰も引き取ってはくれないだろう。

しかし娘が一生懸命に描いてプレゼントしてくれた“パパのにがお絵”は、僕にとっては素晴らしい宝物なんだ。 

娘の絵が、僕に何をもたらしてくれるわけでもない。 
それが高く売れて、僕がお金持ちになるわけでもないし、僕の感性を刺激するわけでもない。 
僕はその絵がもっている価値のために、その絵が宝物だと思うのではなく、その絵を描いた娘を愛しているからその絵が宝物だと思うんだ。 

僕の言いたい事がわかってきたかな? 
全能の神さまの前で、僕たちが神さまのためにすることは、きっと子どもの落書き程度の役にしか立たない。 

でも神さまは、僕たちのことを愛しているから、僕たちが神さまのために一生懸命する全てのことを心の底から喜んでくれる。 

うまい歌が神さまを感動させるのではない。 
僕たちが心を込めて賛美しているから、神さまはその歌を喜んでくれるんだ。 

たくさんの人々の魂を救い、神さまの元に連れてきたから、神さまは喜ぶのではない。 
神さまの素晴らしさや愛を、ひとりでも多くの人々に伝えようとするその想いを神さまは喜んでくれるんだ。 

神さまが僕たちを愛してくれているということは、そういうことなんだって、自分が父親になってみて僕は始めて気づいた。