創世記37章 ヨセフの夢

ヨセフの夢

37章からは、話の中心がヨセフに移っていきます。

ヨセフは、ヤコブの11番目の息子ですね。
母はヤコブの最愛の妻ラケルです。
だからヤコブは、ヨセフを偏愛します。
兄たちは労働力として使いながら、ヨセフにだけは良い服を着せて可愛がります。

ベニヤミンが出てこないのですが、この時点ではまだ赤ん坊だったということでしょう。
恐らく、乳母に育てられていたのではないでしょうか。

いずれにしても、ヨセフが特別扱いされるので、兄たちはヨセフのことを憎むようになりました。
そんな扱いをされたら当たり前のことですよね。

さて、ヨセフは二つの夢を見ます。

創世記 37:6 ヨセフは彼らに言った。「私が見たこの夢について聞いてください。
37:7 見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」

この言葉が兄弟たちの心を逆なでします。
自分がひいきされていることを分かったうえでやっていたなら、完全に嫌みですね。
そうでなかったとしても、相当な無神経だと思います。
ヨセフって、そういうやつだったんですよね。

さらにもうひとつ。

創世記 37:9 再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました」と言った。

さすがの2度目は、ひいきしているヤコブもヨセフを叱ります。
しかも今回は、自分も入っているようですから、ムッとしたのかもしれませんね。

兄たちの策略

怒りを募らせた兄たちにチャンスが訪れます。
羊の群れを連れてなかなか帰ってこない兄たちを探すために、ヤコブはヨセフを迎えによこしたのです。

ヨセフがひとりでやって来たことも好都合でした。
兄たちは、この機会にヨセフを殺してしまおうと考えます。

創世記 37:18 兄たちは遠くにヨセフを見て、彼が近くに来る前に、彼を殺そうと企んだ。
37:19 彼らは互いに話し合った。「見ろ。あの夢見る者がやって来た。
37:20 さあ、今こそあいつを殺し、どこかの穴の一つにでも投げ込んでしまおう。そうして、狂暴な獣が食い殺したと言おう。あいつの夢がどうなるかを見ようではないか。」

何とかそれを留めたのは、長男のルベンです。
父のめかけであり、兄弟の母でもあるビルハと寝てしまうという過ちを犯したルベンでしたが、それなりの正義感ももっていたのです。

でもその辺は「それなりの正義感」ですかなく、「ヨセフに手を出すな」とは言えません。
兄弟たちはヨセフを穴の中に投げ込んでしまします。

そしてそこを通りかかったイシュマエル人の隊商に売ってっしまいます。
酷いですね。(;^_^A

このイシュマエル人というのは、あのイシュマエルの子孫たちで、後のアラブ人です。
ある意味遠い親戚のはずですが、無情にも彼らは、ヨセフをエジプトに連れていき、奴隷として売り飛ばしてしまうわけです。

実の兄弟によって奴隷として売られてしまったヨセフ。
悲劇的ですね。
兄弟たちは、ヨセフが着ていた長服に獣の血をつけて、父に知らせます。

兄弟たちは、ヨセフさえいなくなれば、父は自分たちを見てくれるに違いない、もっと愛してくれるに違いないと思っていたのではないでしょうか?
しかし、そのような結末にはなりませんでした。
ヤコブはヨセフを失ったことを嘆き、悲しみのあまり長い間ふせってしまったのです。
その姿は、兄弟たちも苦しめ、悲しませたことでしょう。

偏愛は、人の心を歪め、苦しめます。
ヤコブ自身が、父のイサクに愛されていないと感じ苦しんだはずなのに、自分も子どもたちを等しく愛することができなかった。
それはとても残念なことです。

聖書に出てくる人たちの多くは、本当に子育てがへたくそです。
私たちは、彼らから失敗を学び、同じ過ちを繰り返さないようにしたいものですね。