出エジプト記8章 十の災い②
蛙の災い
8章1~15節は、蛙の災いです。
奇跡によって、蛙がエジプト中にあふれかえります。
その時、エジプトの呪法師たちは自分たちにも同じ奇跡が起こせることを証明するために、モーセやアロンと同じようにかえるを這い上がらせました。
でもこれ、おかしな話だと思いませんか?
もしも、本当に奇跡を起こす力が彼らにあるのなら、蛙を消し去ればよかったのです。
そうすれば、彼らはエジプトをイスラエルの魔術師たちから救った英雄となることができたでしょう。
でも、彼らは自分の力を証明するため、エジプトにさらなる災いをもたらしたのです。
結果的に彼らがした事は自分の首を絞めることでしかありませんでした。
僕たちの敵には、奇跡を解明してみせたり、秘術を尽くして同じことをすることはできても、神さまの業を打ち破ることはできません。
僕たちを神様から引き離し、“神はいない”とささやくどんな声にも、僕たちは耳を貸す必要がないというのです。
さて、ファラオはどうだったでしょうか?
蛙が国中に満ち溢れて我慢ならなくなったとき、「かえるがいなくなるようにいつ祈ったらいいか 」とたずねるモーセに、パロは「今すぐに」ではなく、「あす」と答えました。
嫌で嫌で仕方がない状態なのに、そこから開放されるなら、早ければ早いほどいいはずなのに、どうして明日まで待つのでしょうか?
僕たちの中にも、同じような心があるように思います。
決断を先延ばしにしてしまうという失敗です。
その決断が良い結果になると本当にわかっているなら、先延ばしにはせず、今すぐそれをするべきです。
なぜそうできないのでしょう?
変化に対する恐れでしょうか?
プライドの高さのためでしょうか?
現実に囚われているのでしょうか?
それとも、頑固さのためでしょうか?
ファラオのようにならないといいですね。
ぶよとあぶ
8章16~20節はぶよの災い。
8章21~32節はあぶの災いです。
この辺は似たような話になるので、ぶよとあぶがどんなものかという説明だけしておきましょう。
都会で生活していると、ぶよとかあぶはあまり見ることがないと思います。
ぶよ:
「ぶゆ」とも呼ばれる体調2~4mmくらいのハエ科の虫です。
蚊と同じようにメスだけが吸血しますが、その際皮膚を噛み切るため、激痛を伴い、中心に赤い出血点や流血、水ぶくれが現れます。
その際に唾液腺から毒素を注入するため、吸血直後はそれ程かゆみは感じなくても、翌日以降にアレルギー反応や感染症を起こすこともあります。
あぶ:
これもハエ科の虫で、8~20mmと、大きめです。
こちらも吸血し、強いかゆみを起こします。
一般的には人間よりも家畜の周りを飛んでいるイメージがありますね。