出エジプト記8章 かえる、ぶよ、あぶ ── 区別される神の民(8:1-32)
出エジプト記8章は、エジプトに対する第二から第四の災いが記されている章です。
前章でナイル川は血に変わりましたが、ファラオはなお心を頑なにし、主の言葉に従いませんでした。
そこで神はさらに災いを送られます。
しかしこの章で特に重要なのは、災いそのものではありません。
神がご自身の民とエジプトとを区別しておられることが明らかにされる点です。
神は単に裁きを行われるだけではなく、ご自身に属する民を守られるお方であることを示されるのです。
背景
出エジプト記7章で、ナイル川は血に変わりました。
それでもファラオは心を変えませんでした。
神はファラオが誰に逆らっているのかをさらに明らかにするため、次の災いを送られます。
エジプト全土は混乱へ向かいますが、その中で神の主権が次第に明らかになっていくのです。
1. 第二の災い ── かえる(8:1-15)
神は再びモーセをファラオのもとへ遣わされます。
そして、「わたしの民を去らせよ。」と命じられます。
しかしファラオが拒むと、無数のかえるがエジプト中にあふれ出ました。
エジプトの呪法師たちも同じようなことを行いましたが、かえるを取り除くことはできませんでした。
そこでファラオは初めてモーセを呼び、「主に祈ってほしい。」と願います。
モーセが祈ると、かえるは死に絶えました。
しかし災いが過ぎ去ると、ファラオは再び心を頑なにします。
苦しみの時だけ神を求めても、真の悔い改めがなければ人は変わらないのです。
2. 第三の災い ── ぶよ(8:16-19)
続いて神はアロンに命じて地のちりを打たせます。
すると、そのちりがぶよとなって人や家畜に群がりました。
今度はエジプトの呪法師たちも真似をしようとします。
しかしできませんでした。
そして彼ら自身がこう認めます。
「これは神の指です。」
ここで初めて、エジプトの知者たちが神の力を認めます。
しかしファラオはなお耳を貸しません。
神の力を認めることと、神に従うことは別だからです。
知識だけでは人の心は変わりません。
3. 第四の災い ── あぶ(8:20-24)
神は再び警告を与えます。
しかしファラオは聞こうとしませんでした。
そこで今度は大量のあぶが送られます。
宮殿も家々もあぶで満たされ、国は大混乱に陥りました。
ところがここで新しいことが起こります。
神は言われます。
「その日、わたしの民が住んでいるゴシェンの地を区別する。」
イスラエルの民が住む場所には、あぶが現れなかったのです。
これまでの災いはエジプト全体に及びました。
しかしここから先、神はご自身の民を特別に守られることを示されます。
神は裁きの中にあっても、ご自身の民を決して見失われません。
4. 妥協を求めるファラオ(8:25-32)
災いを受けたファラオは譲歩し始めます。
彼はイスラエルに礼拝を許そうとします。
しかし条件がありました。
エジプトの外へ出てはならないというのです。
モーセはそれを拒みます。
神が命じられたのは妥協ではなく、従順だからです。
その後ファラオは、「遠くへ行かなければよい」とさらに譲歩します。
しかし災いが取り除かれると、彼は再び約束を破ります。
ファラオは自由そのものを拒んでいるのでした。
神に従うふりはしても、本当に従おうとはしなかったのです。
この箇所が私たちに語ること
出エジプト記8章は、神がご自身の民を区別して守られるお方であることを教えています。
ゴシェンの地が守られたように、神はご自身に属する者を覚えておられます。
それは苦難が全く来ないという意味ではありません。
どのような状況の中でも、神の民は神の御手の中にあるということです。
また、この章は表面的な悔い改めの危険を示しています。
ファラオは苦しい時には祈りを求めました。
しかし問題が解決すると神を忘れました。
真の悔い改めとは、一時的な感情ではなく、神に向きを変えることなのです。
さらに、この章は妥協の誘惑について教えています。
ファラオは何度も妥協案を出しました。
しかし神が求められたのは部分的な従順ではありませんでした。
神への従順は、自分の条件ではなく神の御心に従うことなのです。
この箇所の中心メッセージ
神はかえる、ぶよ、あぶの災いを通して、ご自身の力をエジプトに示された。
またゴシェンの地を守ることによって、ご自身の民を区別しておられることを明らかにされた。
神は裁きを行われるお方であると同時に、ご自身の民を守り導かれる真実なお方である。
「わたしはあなたの民とわたしの民との間を区別する。」(出エジプト記8:23)

