出エジプト記9章 家畜の疫病、腫れ物、雹 ── 神の力の現れ(9:1-35)
出エジプト記9章では、第五、第六、第七の災いが記されています。
これまでの災いによってもファラオは心を変えず、神の言葉に従いませんでした。
しかし神はさらにご自身の力を示されます。
この章で繰り返し強調されるのは、単にエジプトを裁くことではありません。
主が全地を支配しておられる神であることを知らせることです。
ファラオは神の権威を認めようとしませんでした。
しかし災いが進むにつれて、人々は神の力を否定できなくなっていきます。
背景
出エジプト記8章では、かえる、ぶよ、あぶの災いがエジプトを襲いました。
特に第四の災いでは、イスラエルの民が住むゴシェンの地が守られました。
神はご自身の民を区別されることを明らかにされたのです。
それでもファラオは約束を破り、民を去らせようとはしませんでした。
そのため神はさらに大きな裁きを進められます。
1. 第五の災い ── 家畜の疫病(9:1-7)
神は再びモーセをファラオのもとへ遣わし、「わたしの民を去らせよ。」と命じられます。
しかしファラオが拒むと、エジプトの家畜に激しい疫病が広がり、大きな被害を受けます。
しかしここで神は再び区別を示されます。
イスラエルの家畜は一頭も死にませんでした。
神は裁きの中にあっても、ご自身の民を守られたのです。
ファラオもその事実を確認させました。
それでもなお、彼の心は頑ななままでした。
2. 第六の災い ── 腫れ物(9:8-12)
続いて神は、かまどのすすを天へ向かってまくよう命じられます。
すると、それは細かな塵となって広がり、人にも家畜にも腫れ物を生じさせました。
エジプトの呪法師たちも打たれました。
彼らはもはやモーセの前に立つことさえできません。
これまで神に対抗しようとしていた者たちも、神の力の前に無力でした。
しかしファラオはなお悔い改めません。
ここで聖書は、「主はファラオの心を頑なにされた」と記します。
繰り返し神を拒み続けた結果、彼はさらに頑なになっていくのです。
3. 第七の災い ── 雹(9:13-26)
神は再び警告を与えられます。
この災いはこれまで以上に深刻なものでした。
神はファラオに語られます。
「全地にわたり、わたしのような者がほかにいないことを知らせるためである。」
そして雹が来ることを前もって告げられます。
家畜やしもべを屋内へ避難させるよう警告されたのです。
その結果、主の言葉を恐れたエジプト人は避難しました。
一方で、神の言葉を軽んじた者たちは畑に留まりました。
やがて激しい雹と雷がエジプト全土を襲います。
作物は打ち砕かれ、木々は折れ、広い地域が荒廃しました。
しかしゴシェンの地には雹が降りませんでした。
ここでも神はご自身の民を守られたのです。
4. 一時的な悔い改め(9:27-35)
ついにファラオはモーセを呼びます。
そしてこれまでにない言葉を口にします。
「今回は私が罪を犯した。」
さらに、「主は正しく、私と私の民は悪い。」と認めます。
これだけを見ると本当の悔い改めのように見えます。
しかし雹がやむと、彼は再び心を頑なにしました。
問題は災いそのものではありませんでした。
神に従う意思がないことでした。
ファラオは苦しみから解放されることを望みましたが、神に服従することは望まなかったのです。
この箇所が私たちに語ること
出エジプト記9章は、神の支配が全地に及んでいることを教えています。
- 自然も
- 病も
- 国家も
- 王も
すべて神の御手の下にあります。
ファラオは自分が支配者だと思っていました。
しかし本当の主権者は神でした。
また、この章は神の警告にも憐れみが含まれていることを示しています。
雹の災いの前に、神は避難する機会を与えられました。
裁きの前にも憐れみが示されているのです。
さらに、この章は真の悔い改めについて教えています。
ファラオは災いの最中には罪を認めました。
しかし心は変わりませんでした。
真の悔い改めとは、苦しみから逃れたいという願いではなく、神に立ち返ることなのです。
この箇所の中心メッセージ
神は家畜の疫病、腫れ物、雹の災いを通して、ご自身が全地を支配する主であることを示された。
神は裁きの中でもご自身の民を守り、また警告を通して憐れみを示された。
神の力を見てもなお心を閉ざす者は滅びへ向かうが、神を恐れる者は守られるのである。
「全地にわたり、わたしのような者がほかにいないことを、あなたが知るためである。」(出エジプト記9:14)

