紀元一世紀の教会を訪れる(5)

アキラは静粛を呼びかけた

「もうこんな時間だ」アキラは言った。「第10の時(午後4時)も半分過ぎたので、そろそろ食事を始めた方がよさそうだね。どうやらフェリクスは、またもやご主人に引き止められてしまったようで、いつ来られるのかわからない。 フィロロギウス、彼のために食べ物を残しておいてくれないか? さもないと、彼は食事にありつけないだろう。彼の主人がどんな人か、私たちはよく知っているからね。」

フィロロギウスは頷くと、彼の一番上の息子に言われた通りにするよう促した。 アリストブルスの奴隷と、二番目以降の二人の息子たちは、私たちと入れ違いにプリスカと部屋を出ていき、最初の料理を携えて戻ってきた。 ユダヤ人の機織り職人の娘二人は、キッチンでプリスカの手伝いをしている。

 

パンを手にしたアキラの言葉

食べ始める前、アキラは妻がテーブルに置いていたパン(パン屋で買ってきたものではなく、ホームメイドのものに見えた)を手に取り、「感謝を献げたい」と言った。 どうやら、彼らの神へのささげものか何かなのだろう。

私たちローマ人は、家庭の食卓のために料理や飲み物の一部を取っておき、メインディッシュの後でそれを捧げ、神から受け入れてもらうようにする。 ユダヤ人が行うのはそれとは違う方法で、食事が始まるとパンを割って祈るという習慣があると聞いていた。 だが、今起こっているのはむしろこんな感じだ。

パンの一部を神に捧げる代わりに、アキラは神が自分たちのために何かを先に献げてくれていたことを、その場にいた人々に思い出させた。 神が彼らのために献げたものとは神のひとり子、それも、彼らが生きるために死んだのだという。

「私たちのために自らを献げる前」彼は続けていった。「今と同じように、彼は信じる者たちと食事をともにしました。そして裂いたパンを分かち合い、そのパンが彼自身を表わしていると言ったのです。体のいのちのためにパンが必要なように、真のいのちを体験するためには、パン以上に彼が必要なのです。私たちも同じように彼を必要としています。彼が私たちに会食を続けることを望むのはそのためであり、私たちが今日このようにして集まっているのもこのためです。」

死んだ人間が一体どうしようというのか、私には全く理解できなかった。 しかしアキラは、この人物は処刑された後、もう一度蘇ったのだと言う。 私は耳を疑ったが、彼は間違いなくそのように言ったのだ!

死んだ後、彼は父のところに行った。 そしてそれによって、彼に従う者は誰でも、どこにいようと、どれほど多くの人数であっても、彼のいのちを分かち合うことができる存在となった。 それぞれの中に、彼の一部が住んでいるように……少なくとも私はそのように理解した。

「これはつまり」アキラは続けて言う。「彼が物理的にこの部屋にいる私たちと一緒にいるということではありません。それでも本当に私たちの間にいるのです。私たちがこうして食事をともにするように、ここにあるパンから始めます。」

そう言うと、彼はパンをいくつかに分け、それをゲストたちに配り始めた。 「私たちは、自分自身の内に直接彼を体験し、また食事をしながらお互いの交わりを通して、彼を体験するのです。」

 
儀式的でなく、エキゾチックで神秘的でもない

最後に彼は、短い祈りですべてを締めくくった。 もっとも、それを祈りと呼んでいいのであればだが。 というのは、私が見た限り、その祈りは即興で作ったものであり、彼はごく普通の声で話しているように聞こえたからだ。

祈りの中で彼は神に感謝し、食事やそれにまつわることをどれだけ楽しみにしているかを伝えた。 そして「そうです」「確かに」「アーメン」などの声が飛び交う中、席に着き、みんなで食事を始めた。

さて、これは私が期待していたものとは全く違うものだったことが分かるだろう。 きちんと儀式的なものでもなく、エキゾチックで神秘的なものでもない。 とてもシンプルで、つまらないものばかりだ。 このいいかげんで平凡なやり方を、彼らの神はどのように思うのだろう。 私には、神に対して気軽に接し過ぎているように見えた。 こんなやり方が神にふさわしいだなんて、私には到底思えなかった!

 

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