紀元一世紀の教会を訪れる(6)

少し食事をした後、アキラは老夫人の方を向き、彼女に質問をした。
「マリアさん、暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか? この時期にしてはずいぶん暑いですが…」
クレメンスは彼女についてこのように説明した。「彼女は最近、一族の本家である北部の丘陵地帯からローマに来たばかりなんだ。50歳という年齢にしては気候の変化にうまく適応しているが、皮膚に何かの問題を抱えているらしく、不快感を訴えている。」

彼女はすぐにそれと分かるなまりで答えた。
「ずいぶん良くなりましたよ、アキラ、ありがとう。特に先週みんなで祈ってくださった後には。」
この会話がきっかけとなり、ある医療用クリームの価値のことや、一般的な医師の力には限界があるということが話題になった。

そんな話が盛り上がっている間に、私たちは最初の料理を食べ始めた。
それは少量の全粒粉小麦のポリッジ(おかゆ)で、我々が普段もっと多くの量をメインディッシュとして食べているものだった。
マッシュルーム、オリーブ、ハーブなど様々なもので、通常よりも多く風味があり、はちみつの甘味で味付けもされている。

「この料理、凄くうまいですね!」と、私はユウオディアに一言った。
「プリスキラのレシピなのよ」彼女は説明した。「材料の正確な割合に関しては、誰にも教えてくださらないんだけどね。」

目次

私は自分の目で見たものだけを信じる

その後、話題はより多方面へと導かれていった。
話しの中で私は、旅の間に東方の癒しの神殿で起こっていると言われている奇蹟について聞いたことがあるかと質問された。

「たくさんの話を聞いたことがありますよ」と、私は答えた。「でも、その多くは突拍子もないことのように思えました。私はこの目で見ない限りは、その手の話は信じませんね。」

その後は、専門的な医療とコミュニティによる癒しのための祈りとの関係について、活発に意見が交わされた。
この話題に関してには、かなり思い入れが強い人もいるようで、一時は本格的な口論になりそうな雰囲気になった。
アキラの仲裁によって、話はすぐに落ち着いたが、私にとっては何とも言い難い状況だった。

私は視線を変え、アリストブルスの奴隷が注ごうとしていた最初のワインに目を向けた。

本格的な口論になりそうな雰囲気

これまで使っていた食器と同じように、そのカップも土の器で、上流の家庭で使われるような青銅や銀の食器ではない。
指では扱えない食べ物のためには、大き目のスプーンが用意されていた。

また、テーブルの上には、食前・食中・食後に手を洗い、指を清潔にするための水とナプキンが置かれていた。
普通は、奴隷がスポンジやワインを使ってこういう世話をするものだが、ここでは「ご自分でどうぞ」というアレンジがされていた。
我々は、ハエも自分で追い払わなければならなかった。

ハチミツではなく水で割ったワインはほどよい品質で、器まで心地よい冷たさだった。
子どもたちは、アリストブルスの奴隷に、両親と同じだけの量を注ぐように催促している。
「リュシアス、お願~い!」子どもたちがせがむと、
「はいはい、承知いたしました」と彼は応えるのだが、求めに応じるふりをするだけだった。

病気に関する議論が収束し、みんなが最初の料理を食べ終えたころ、プリスカは次の皿の準備をするために立ち上がり、前に彼女を手伝った人たちもそれに続いた。
そうこうしている間に、ユウオディアがみんなの会話に割って入った。

「今週私は、フォルテュナトゥスからの手紙を受け取りました」と、彼女は言った。「そして、この挨拶が皆のところに届くように、と。」

フォルテュナトゥスとは、どうやら私の前に友人たちの世話になって、ローマに短期間滞在していた人物らしい。
その期間中、彼もこの集まりに参加していたのだ。
現在はミレトスに帰り、他の信徒たちと深く関わっているようだ。
ユウオディアは手紙を何節か朗読し、彼がどのように過ごしているかを伝えた。

フォルテュナトゥスからの手紙

「私たちの心からの挨拶をお返しください」と、アキラが言った。「そして、彼の祝福のために祈り続けていると。」
数人の人たちがうなづいているのが見えた。

しばらくしてプリスカが戻ってくると、私は自分の幸運を信じることができなかった。
最近、ほとんどありついていなかったので、少しは肉が食べたいと思っていたのだ。
ローマで肉はほとんどいつでも品薄で、良い時でも恐ろしく高価だったのだ。
ところがここでは、各テーブルにさまざまな肉や、野菜の盛り合わせが大きな皿で用意されていた。
この食事のために1週間蓄えておいたのではないだろうか。

恥ずかしながら、最初に給仕されたのはまたもや私だった。
私は小魚、カブ、豆を取り、その上に美味しそうな薫りのする塩ソースをたっぷりかけた。

奴隷は部屋の外で食事をするものだ

向かい側の席を見て、私は驚いた。
アリストブルスが、自分のしもべのために食べ物を盛り付けていたのだ。
それどころか、そこには彼自身と同じものを、同じ量だけ盛り付けられていた。

私は、解放奴隷でもゲストとは区別され、より劣った食べ物やワイン、別の皿や食器で食べるのが当たり前の環境で育ってきた。
奴隷であれば、部屋の外で食事をするのが普通だ。
近ごろはもっと寛大な考え方の主人もいるそうだが、そんなのはまだ珍しいことだった。

(つづく)

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