紀元1世紀の教会を訪れる(10)

このときリュシアスが、アキラの合図でテーブルにあるカップを補充し始めたので、私たちの話しは中断されてしまった。
フェリクスは別のテーブルで同じようにワインを注いでいる。
アキラは自分のカップを両手でつかむと、このように言い始めた。

「私たちが飲んでいるワインは、食事の一部であり、主における交わりを助けるものでした。しかし、そこにはそれ以上の意味があります。なぜなら、イエスさまが説明したように、死によってこの絆を作り出したのはイエスさまご自身であることを思いださせるものだからです。

また、この言葉は、私たちがいつか彼の食卓につき、顔と顔を合わせて食事をするときの、彼との交わりを約束するものでもあります。
ですから、私たちはこの杯を共に飲むときにこれらのことを心に留め、感謝し、一方で感謝しながら振り返り、他方では期待しながら待ち望もうではありませんか。

そして私たちの交わりが、彼と一体であることをますます表現し、いわば地上の天国を味わうようなものとなりますように。」

このような精神で、私たち全員が、このワインにあずかった。

食事がほぼ終わり、ゲストたちが満足のげっぷをしながら、感謝の意を表している。
不作法になるつもりはないのだが、私も自然にそうしていた。
プリスカとアキラは、私たちの楽しそうな表現を、軽くうなずきながら喜んでいるように見えた。

子どもたちや奴隷たちが片付けをし、客人たちが足を伸ばしている間、プリズカはテーブルの上に置かれた円盤型の陶器のランプのオイルをチェックし、芯が適度な長さであることを確認した。
しかし、暗くなるのは少し先なので、火はまだつけていない。
言うまでもなく、オイルは無駄使いするにはあまりに高価なものだからだ。

子どもたちはリュシアスの周りに集まっていた。
リュシアスはどこからかチェッカーゲームを出してきて、部屋の奥の方に座っている。
年長の女の子の一人は、ノーツアンドクロスズ(〇✕ゲーム)のセットを持ってきていて、男の子二人はナックルボーン(お手玉のような遊び)で遊び始めた。
その様子をしばらく眺めていたが、必死に勝とうとしている風を装いながら上手に負けるリュシアスの手際の良さには心を引き寄せられる。
彼が負けて、子どもたちに歓喜の声が沸き起こると、親たちが「静かにしなさい」と声を荒げた。

目次

親たちは声を荒げた

その頃、ゲストたちは再びソファーの周りに集まっていた。
1,2名ほどが部屋から出て行ったが、恐らくトイレを探しに行ったのだろう。
幸運なことにこの家にはトイレがあり(*3)、1階にあるトイレを他のアパートの住民にも開放していた。

私は、ソファに戻ると、夕食が終わって、これからどんなことが起こるのだろうと思いめぐらしてみた。
普通ならこの時間は、たわいのない会話をしたり、冗談や物語を話したり、教訓的な話題や文章についての議論をしたり、あるいはたっぷりとワインを飲むのに用いられる。
カップが片付けられていくので、後者はないだろうと推測できた。
でも、そこから先は想像できない。

私はディバン(背もたれのない低いソファ)のひとつにもたれかかり、スリッパから足を出して冷たいモザイクタイルの床に足をつけ、リラックスしていた。
アキラやプリスカのような裕福な人の家では、普通足元はテラコッタかセメントの床だと思うだろう。
しかし、貴族の出自はこの点でもありがたかった。

この部屋は、間違いなく快適だ。
ドレープに挟まれた格子窓からは、部屋の片側の壁に沿って適度な明るさが入ってくる。
白い漆喰の壁には、いくつものタペストリーや壁掛けが飾られている。
モチーフは平凡だが、とてもていねいに作られていた。

ソファやテーブルは質素なものだった。
木製のローテーブルには、裕福な家で見られるような美しい木目の木材が使われていたり、精巧な彫刻があるわけでもなく、最近はやりの調節可能な金属製の脚があるだけで、ソファのヘッドボードもごくシンプルなデザインだ。
それを覆う布は、良い素材ではあるが上質とまでは言えず、刺繍も豪華というよりは職人的だった。

部屋は快適だった

(つづく)

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【訳注】*3:当時のローマでは下水道が設備されるようなテクノロジーを持っていたが、全ての家にトイレがあるわけではなかった。多くの貧しい家庭では桶などに用を足して、下水道に捨てているような状況だった。