紀元一世紀の教会を訪れる(11)

全員が着席し、リュシアスがゲームを片付けると、アキラは頭を少し下げ、彼の神の霊に、これから起こるすべてを導いてくれるよう頼んだ。 前と同じように、仰々しさはなく、淡々とした口調で。

少し間を置くと、彼は子どもたちが特に好きな歌を、みんなで歌おうと提案した。 これは概ねみんなから賛同を得た。 バリトンボイスのガイウスがリードすると、すぐに全員が参加し、子どもたちは手拍子を打ちながら歌っている。

しばらくすると、私もそこに加わって一緒に歌うことができた。 歌うことは私にとって何よりの楽しみだが、こんな機会にはなかなか恵まれない。 最後のコーラスは天井を吹き飛ばすような勢いだったので、隣の家の人はどう思ったことだろう。

 

歌が終わるとすぐに、クレメンスは目を閉じ、彼の神に語りかけ始めた。 アキラ同様、彼はごく普通に、自分の神がまるで同じ部屋にいる親しい知人であるかのように話している。

クレメンスが話したのは、歌の中で何度か繰り返されていた「世界は神から私たちへ贈られたものだ」という言葉だった。 なんと不思議な発想だろう。

彼はこのことについてさらに詳しく語り始めた。 私たちが毎日使い、見て、聞いて、嗅いでいる、当たり前のように思っているものが、神の手から生まれたものであると説明した。 時折、周りの人たちから同意を示すつぶやきがもれてくる。 そして最後に、全員で大きな肯定の声が上がった。(*4)

 
クレメンスは普通に神さまに語りかけた

女性も男性も、そして子どもも一人、また一人と話していき、同じパターンが繰り返された。 神との会話は、クレメンスと同じくらい長いものもあれば、数語だけのものもあった。

そのほとんどは、クレメンスが最初の歌から取り上げた主題を、何らかの形で追認する内容だった。 例えば、ユダヤ人の織物職人のときは、神が先祖に寛大であったことに感謝し、他の民族と異なる点をいくつも挙げながら、自分たちがそれに応えられなかったことを詫びるという場面があった。

 
男も、女も、子どもたちも話す

今日連れてこられたばかりのタイロも、ためらいながら、神が自分にどれほどのことをしてくれたか、特に一人息子を与えてくれたことの意味がよく分かったと感謝した。

それが終わると、その場にいた各家族の長と、他の二名ほどが部屋を横切って彼の上に手を置き、自分たちのコミュニティに迎え入れ、これからも支えていくことを約束した。 彼は涙を流し、感謝の気持ちを伝えきれなかった。 奇妙な出来事だとは思いつつ、私も少し感動してしまったことを認めざるを得ない。

ハーマスは、聖書の中にこの場にふさわしい詩篇があると言った。 彼はこの手のことに関して記憶力がいいに違いない。 その暗唱は何分にも及んだ。

 
彼らはタイロに手を置いた

「この言葉の写しが欲しいかい?」 朗読を終えると、ハーマスはタイロに尋ねた。 「簡単に書き写すことができるよ。」

タイロは黙ったままうなずいた。 先ほど起こった出来事と、予想外に自分が受けている注目に、まだ圧倒されているように見えた。

続き

【訳注】*4:よく知られている「アーメン」という言葉は、「その通り、まことに、確かに」など同意を表わすヘブライ語。未信者であり、初めて参加したプブリウスには聞きなれない言葉だったかもしれないが、それが同意を表わす言葉であることを理解している。