292日目 マタイ15章、マルコ7章:人の内側から出るもの、異邦人への憐れみ、そして神さまのいやしの広がり

パリサイ人との論争(マタイ15:1-9・マルコ7:1-13) ― 外側ではなく心が問われる
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エルサレムから来たパリサイ人と律法学者が、 弟子たちが手を洗わずに食事すること を非難する
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イエスは反論する
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「あなたがたは人の言い伝えのために神さまの戒めを無にしている」
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例として「コルバン(神への供え物)」を挙げ、 親を敬う戒めを骨抜きにしていることを指摘
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イエスはイザヤ書を引用
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「この民は口先でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている」
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神さまが求めるのは、 外側の儀式ではなく、心の真実
汚れとは何か(マタイ15:10-20・マルコ7:14-23) ― 汚すのは外側ではなく内側
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イエスは群衆に語る
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「口に入るものが人を汚すのではなく、口から出るものが人を汚す」
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弟子たちは理解できず、説明を求める
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イエスは明確に語る
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汚れは外側からではなく、 心から出る悪い思い・言葉・行動 による
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マルコは「これにより、すべての食物がきよいとされた」と記録
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神さまが見ておられるのは、 心の動機と内側の状態
カナンの女の信仰(マタイ15:21-28・マルコ7:24-30) ― 異邦人にも広がる憐れみ
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イエスはツロとシドンの地方へ
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カナンの女 が叫ぶ
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「ダビデの子よ、私をあわれんでください」
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娘が悪霊に苦しめられていた
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イエスは最初沈黙し、弟子たちは追い払おうとする
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イエスは言う
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「わたしはイスラエルの失われた羊のために遣わされた」
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女はひれ伏し、
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「主よ、助けてください」
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イエスはさらに試すように言う
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「子どものパンを小犬に投げるのは良くない」
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女は答える
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「小犬も主人の食卓から落ちるパンくずをいただきます」
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イエスはその信仰を称賛し、娘は癒される
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神さまの憐れみは、 国境も民族も越えて広がる
多くの病人の癒し(マタイ15:29-31) ― 山の上でのいやしの連続
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イエスはガリラヤ湖のほとりの山に登り、座られる
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多くの人々が
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足の不自由な人
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盲人
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口のきけない人
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さまざまな病人 を連れて来る
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イエスは彼らを癒し、 群衆は神さまをあがめる
四千人の給食(マタイ15:32-39・マルコ8:1-10) ― イエスの憐れみは尽きない
※マルコ7章の続きは8章にまたがるため、関連箇所として扱います。
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イエスは三日間ついてきた群衆を見て、 「かわいそうに思う」
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手元には
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パン7つ
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少しの魚
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イエスは感謝して裂き、弟子たちが配る
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四千人以上が満腹し、7つのかごが余る
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イエスの憐れみは、 繰り返し、豊かに、尽きることがない
耳が聞こえず舌の回らない人の癒し(マルコ7:31-37) ― 「エパタ(開け)」の奇跡
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イエスはデカポリス地方で、 耳が聞こえず、舌の回らない人 を連れて来られる
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イエスは彼を人々から離し、
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耳に指を入れ
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唾をつけて舌に触れ
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天を見上げてため息をつき
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「エパタ(開け)」 と言う
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彼は聞こえるようになり、はっきり話せるようになる
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人々は驚き、
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「すべてのことをよくしてくださった」 と語る
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イエスは、 身体も心も開いてくださる主
これらの章が描くテーマ
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神さまは外側ではなく、心の内側を見ておられる(マタイ15・マルコ7)
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人を汚すのは外側の行為ではなく、心から出るもの(マタイ15・マルコ7)
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イエスの憐れみは、ユダヤ人を越えて異邦人にも広がる(カナンの女)
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イエスは多くの病人を癒し、神さまの力を示す(マタイ15)
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イエスはわずかなものを祝福し、豊かに満たす(四千人の給食)
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イエスは耳と舌を開き、人生を回復する(マルコ7)
神さまの働きとメッセージ
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神さまは、外側の形式ではなく、心の真実を求められる
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神さまは、民族や境界を越えて憐れみを注がれる
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神さまは、弱さの中にある者を癒し、回復される
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神さまは、わずかなものを祝福し、必要を満たされる
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神さまは、閉ざされた耳と心を開き、真理を聞かせてくださる
考えてみよう
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あなたの心の中にある「人の言い伝え」は何でしょう
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イエスの前に「パンくずでも十分です」とへりくだる信仰を持てるでしょうか
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神さまが開こうとしている「耳」や「心」はどこでしょう
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あなたの手にあるわずかなものを、イエスに差し出すと何が起こるでしょう


