赦しの限界を超える赦し(マタイ 18:21–35)

このたとえは 「赦しの限界を超える赦し」 というテーマを持っており、イエスの教えの中でも特に強いインパクトを持つ箇所です。

1. ペテロの質問:赦しの“限界”を設定しようとする心(18:21)

「兄弟を何度まで赦すべきでしょうか。七度までですか。」

ペテロは“赦しの限界”を設定しようとしています。

  • どこまで赦せば十分なのか

  • どこで線を引けばよいのか

  • どこまでが義務なのか

つまり、 赦しを「回数」で管理しようとする心。

これは人間として自然な感覚です。

世の中の価値観としても、七度も赦すのは寛容な方だと言えるでしょう。

 

2. イエスの答え:限界を超える赦し(18:22)

しかし、イエスはこのように言います。

「七度までではなく、七の七十倍までです。」

これは「490回赦せ」という意味ではありません。

“赦しに限界を設けるな”という意味です。

  • 数えない赦し

  • 計算しない赦し

  • 条件をつけない赦し

  • 相手の変化を待たない赦し

つまり、 赦しは「回数」ではなく「心の姿勢」。

 

3. たとえの構造:二つの負債の“圧倒的な差”(18:23–34)

イエスは、赦しの本質を説明するために “二つの負債”の物語を語ります。

✔ ① 主人に対する負債:一万タラント

これは現代の価値にすると 返済不可能なレベルの巨額です。(1タラント=およそ6000万円に相当)

つまり、 しもべは主人に対して「絶対に返せない負債」を負っている。

✔ ② 仲間に対する負債:100デナリ

これは がんばって働けば返せるレベルの額です。(1デナリ=およそ1万円に相当)

つまり、 仲間の負債は“赦せないほどのものではない”。

この“圧倒的な差”が、たとえの中心です。

 

4. 主人の赦し:返済不可能な負債を完全に免除(18:27)

主人はしもべに対して 返済不可能な負債を「完全に赦す」。

  • 分割返済でもなく

  • 猶予でもなく

  • 減額でもなく

  • 条件付きでもなく

完全な赦し。

これは、 神が人に与える赦しのイメージ。

 

5. しもべの態度:小さな負債を赦さない(18:28–30)

しもべは仲間に対して 返せるレベルの負債を赦さない。

  • 首を絞め

  • 返済を迫り

  • 赦しを拒否し

  • 牢に入れる

つまり、 自分が受けた赦しを、他者に流さない。

 

6. 主人の怒り:赦しを受けた者が赦さないことへの厳しさ(18:32–34)

主人はしもべにこう言います:

「私はお前を赦したのだから、お前も仲間を赦すべきではなかったか。」

ここで強調されているのは、

✔ “赦しを受けた者は、赦す者となるべき”

という原則。

主人が怒った理由は しもべが赦さなかったことそのものではなく、 “受けた赦しを他者に流さなかったこと”。

 

7. イエスの結論:赦しは「受けた赦しを流すこと」(18:35)

「あなたがたも心から赦さないなら…」

ここでイエスが言っているのは、

  • 赦しは義務ではなく

  • 赦しは感情でもなく

  • 赦しは努力でもなく

  • 赦しは“受けた赦しを他者に流すこと”

ということ。

つまり、

赦しは「自分が神から受けた赦し」を他者に流す行為。 だから限界を設けることができない。

 

8. まとめ:赦しの限界を超える赦しとは

マタイ18:21–35は、 赦しとは「回数」ではなく「心の姿勢」であり、 自分が神から受けた赦しを他者に流す行為であることを示す。 主人がしもべを完全に赦したように、 赦しを受けた者は赦す者となる。 だから赦しには限界を設けることができない。