離婚についての教え(マタイ 19:1–12)
1. パリサイ人の質問:離婚の“許可”を求める姿勢(19:3)
「何か理由があれば、妻を離縁することは律法にかなっているでしょうか。」
彼らの関心は 「離婚がどこまで許されるか」 という“境界線の議論”。
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どこまでなら離婚してよいのか
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どんな理由なら正当なのか
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モーセはどこまで認めたのか
つまり、 結婚よりも離婚の条件に焦点がある。
イエスはこの視点そのものを転換します。
2. イエスの答え:離婚の議論ではなく“結婚の本質”へ(19:4–6)
イエスは離婚の条件ではなく、 結婚の起源と目的に話を戻します。
「創造の初めから、神は人を男と女に造られた。」
ここでイエスが強調するのは、
✔ 結婚は人間が作った制度ではなく、神が創造した結びつき
✔ 二人は一体となる
✔ 神が結び合わせたものを、人が引き離してはならない
つまり、
結婚は“神の働き”であり、 離婚はその働きを人がほどく行為。
イエスは離婚の条件ではなく、 結婚の神聖さを中心に置きます。
3. パリサイ人の反論:モーセは離婚を認めた(19:7)
「では、モーセはなぜ離縁状を与えるよう命じたのですか。」
彼らは再び 離婚の許可の話に戻そうとする。
4. イエスの説明:離婚は“人の心のかたくなさ”への暫定措置(19:8)
「あなたがたの心がかたくなかったので、モーセは離縁を許したのです。」
ここでイエスは明確にします。
✔ 離婚は神の本来の意図ではない
✔ 離婚は“心のかたくなさ”への暫定的な対応
✔ 創造の初めからの神の意図は「離婚なし」
つまり、
離婚は“神の理想”ではなく、“人の現実への妥協”。
5. イエスの結論:離婚と再婚の厳しさ(19:9)
「不品行以外の理由で離縁し、別の人と結婚する者は姦淫を犯す。」
ここでイエスが語るのは、 離婚の軽さへの警告です。
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離婚は簡単に扱うべきではない
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再婚は前の結びつきを事実上否定する行為
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結婚は神が結び合わせたもの
つまり、
離婚は“神の結びつきをほどく”という深刻な行為。
6. 弟子たちの反応:結婚は重すぎる(19:10)
「そんなに厳しいなら、結婚しないほうがましだ。」
弟子たちは 結婚の重さに圧倒される。
イエスはその反応を否定せず、 むしろ次の言葉で補足します。
7. イエスの補足:結婚は“誰でもできるものではない”(19:11–12)
「この言葉を受け入れられる者だけが受け入れなさい。」
イエスはこう言っています。
✔ 結婚は軽い契約ではない
✔ 神の結びつきとして受け入れられる者だけが結婚すべき
✔ 結婚しない選択も尊重される
そして「宦官」の話を通して、 結婚しない生き方も神の前で尊いと示します。
8. まとめ(19:1–12)
マタイ19:1–12は、離婚の条件を議論するのではなく、 結婚の本質を回復するための教え。 結婚は神が結び合わせたものであり、 離婚はその結びつきを人がほどく行為。 モーセの離婚許可は“心のかたさ”への暫定措置であり、 神の本来の意図は「二人が一体となること」。 結婚は軽い契約ではなく、 受け入れられる者だけが受け入れるべき重い召しである。

