ヨハネ1:19-34 神の小羊の紹介

「私はキリストではない」(1:19-23)

エルサレムのユダヤ人指導者たちは、祭司やレビ人たちを遣わし、バプテスマのヨハネに質問させます。

「あなたはだれですか。」

当時、ヨハネの働きは大きな注目を集めていました。

そのため人々は、

  • キリストではないか
  • エリヤではないか
  • あの預言者ではないか

と考えていました。

しかしヨハネは明確に否定します。

「私はキリストではありません。」

そして自分について、

「私は『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫ぶ者の声である。」

と語ります。

ヨハネは決して自分を中心にしませんでした。

彼の使命は、自分を高く掲げることではなく、来られるキリストへの道を備えることだったのです。


キリストより先に立つ証人(1:24-28)

パリサイ人たちはさらに尋ねます。

「あなたがキリストでもなく、エリヤでもなく、その預言者でもないなら、なぜバプテスマを授けるのか。」

するとヨハネは答えます。

「私は水でバプテスマを授けています。」

しかし彼はすぐに人々の目を自分から離し、キリストへ向けます。

「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方が立っています。」

そして、

「私はその方の履き物のひもを解く値打ちもありません。」

と言いました。

これは最大級のへりくだりの表現です。

ヨハネは人々から預言者として尊敬されていましたが、自分とイエスとの間には比べようのない差があることを知っていたのです。


神の小羊(1:29-31)

翌日、ヨハネはイエスが自分の方へ来られるのを見て叫びます。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」

これはヨハネ福音書全体を理解するための重要な宣言です。

旧約聖書では、

  • 過越の小羊
  • 毎日のいけにえ
  • イザヤ53章の苦しむしもべ

などを通して、小羊が罪のための犠牲を象徴していました。

ヨハネはイエスを見て、

「この方こそ罪を取り除く方だ」

と証言したのです。

人々はローマからの解放者を期待していました。

しかしヨハネは、イエスがまず罪の問題を解決する救い主であることを示しました。


聖霊を授ける方(1:32-33)

ヨハネはさらに、自分が見た出来事を語ります。

「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまるのを見た。」

ヨハネ自身も神から教えられていました。

そして、

「御霊が下って、その上にとどまるのを見るその方が、聖霊によってバプテスマを授ける方である。」

と言われていたのです。

ヨハネの水のバプテスマは悔い改めを表すものでした。

しかしイエスは、聖霊を与え、人を内側から新しくすることのできるお方です。


神の子への証言(1:34)

最後にヨハネは証言します。

「私はそれを見ました。そして、この方が神の子であると証ししています。」

ここで証言は頂点に達します。

ヨハネは、

  • キリストではない
  • 道備えの声である
  • イエスは神の小羊である
  • イエスは聖霊を授ける方である
  • イエスは神の子である

と証言しました。

ヨハネの働きの中心は、常にキリストを指し示すことだったのです。


ヨハネ福音書における最初の証言

ヨハネ福音書では「証言」が重要なテーマです。

その最初の証人としてバプテスマのヨハネが登場します。

彼は奇跡を行うことよりも、

「この方を見よ」

と語ることに召されました。

そして、その最初の証言の内容は、

「イエスは神の小羊である」

という福音そのものでした。

後の十字架において、この言葉の意味が完全に明らかにされることになります。


この箇所が私たちに語ること

バプテスマのヨハネは、人々の注目を自分に集めようとしませんでした。

常にイエスを指し示しました。

私たちもまた、自分を示すためではなく、キリストを示すために召されています。

そしてヨハネが語ったように、イエスは単なる教師ではありません。

世の罪を取り除く神の小羊であり、聖霊を与える神の子なのです。


この箇所の中心メッセージ

バプテスマのヨハネは、自分は道備えの声にすぎず、イエスこそ神の小羊であり神の子であると証言した。

イエスは世の罪を取り除き、聖霊を与える救い主として世に来られたのである。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ1:29)