ヨハネ1:35-51 最初の弟子たち
「来なさい。そうすれば分かります」(1:35-39)
翌日、バプテスマのヨハネは二人の弟子と共に立っていました。
そしてイエスをご覧になり、
「見よ、神の小羊。」
と言います。
すると二人はヨハネのもとを離れ、イエスについて行きました。
イエスは振り向いて尋ねられます。
「何を求めているのですか。」
彼らが、
「先生、どこにお泊まりですか。」
と尋ねると、主は答えられます。
「来なさい。そうすれば分かります。」
彼らはイエスと共に時間を過ごしました。
弟子としての歩みは、まずイエスを知ることから始まります。
単なる知識ではなく、主と共に歩む体験の中で理解が深められていくのです。
アンデレがペテロを導く(1:40-42)
二人のうちの一人はシモン・ペテロの兄弟アンデレでした。
アンデレはまず自分の兄弟シモンを探し出し、
「私たちはメシアに会った。」
と言います。
そして彼をイエスのもとへ連れて来ました。
イエスはシモンを見つめ、
「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパと呼ぶことにします。」
と言われます。
ケパ(ペテロ)は「岩」という意味です。
ここで主は、シモンの現在ではなく、将来どのような人物に変えられるかを見ておられました。
ピリポの召し(1:43-46)
翌日、イエスはピリポを見つけて言われます。
「わたしに従いなさい。」
するとピリポもまた誰かを導こうとします。
彼はナタナエルを見つけ、
「私たちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に会った。」
と伝えました。
しかしナタナエルは懐疑的でした。
「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」
と言います。
そこでピリポは議論しませんでした。
ただ、
「来て、見なさい。」
と勧めます。
これはイエスが最初の弟子たちに言われた言葉とよく似ています。
福音は理屈だけで伝わるのではなく、キリストとの出会いへ導くことによって広がっていくのです。
ナタナエルの告白(1:47-49)
ナタナエルが近づいて来ると、イエスは言われます。
「見なさい。本当のイスラエル人です。この人には偽りがありません。」
驚いたナタナエルは、
「どうして私をご存じなのですか。」
と尋ねます。
するとイエスは、
「あなたがいちじくの木の下にいた時、見ていました。」
と言われました。
それを聞いたナタナエルは直ちに告白します。
「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
彼はイエスのうちに、単なる教師以上のお方を見たのです。
ヨハネ福音書の初めにして、すでにメシアへの信仰告白が響き始めています。
天が開かれる約束(1:50-51)
しかしイエスは言われます。
「あなたは、もっと大きなことを見ることになります。」
そして、
「あなたがたは天が開け、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを見ることになります。」
と語られます。
これは創世記28章のヤコブの夢を思い起こさせます。
ヤコブは天と地を結ぶはしごを見ました。
しかし今や、その役割を果たすのはイエスご自身です。
神と人との間を結ぶ唯一の道として、人の子が来られたのです。
証しが広がる始まり
この箇所には興味深い流れがあります。
- ヨハネがイエスを証しする
- 二人の弟子がイエスに従う
- アンデレがペテロを導く
- ピリポがナタナエルを導く
- ナタナエルが信仰告白をする
福音は一人から一人へ伝えられていきます。
ヨハネ福音書の最初から、弟子づくりと証しの姿が描かれているのです。
この箇所が私たちに語ること
最初の弟子たちは、最初からすべてを理解していたわけではありません。
しかし彼らはイエスのもとへ行き、主と共に歩み始めました。
信仰はすべてを理解してから始まるものではなく、まず主に従うことから始まります。
またアンデレやピリポのように、福音は身近な人へキリストを紹介することによって広がっていきます。
私たちも、
「来て、見なさい。」
と人々を主のもとへ導く者として召されているのです。
この箇所の中心メッセージ
最初の弟子たちはイエスと出会い、その方をメシアとして信じて従い始めた。
そして彼らは自分だけで留まらず、他の人々を主のもとへ導いた。
真の弟子とは、キリストと出会い、さらに他の人々をキリストへ導く者である。
「来なさい。そうすれば分かります。」(ヨハネ1:39)

