ヨハネ3:22-36 ヨハネ最後の証言
バプテスマをめぐる議論(3:22-26)
この後、イエスと弟子たちはユダヤ地方へ行き、人々にバプテスマを授けておられました。
一方、バプテスマのヨハネもアイノンでバプテスマを授け続けていました。
その頃、ヨハネの弟子たちとあるユダヤ人との間で清めについて議論が起こります。
そこで弟子たちはヨハネのもとへ来て言いました。
「先生。あなたが証しされたあの方のもとへ皆が行っています。」
彼らは、人々がイエスのもとへ集まり始めていることに不安を感じていました。
自分たちの先生の人気が失われていくように見えたのです。
しかしヨハネは、まったく違う視点を持っていました。
花婿を喜ぶ友人(3:27-30)
ヨハネは答えます。
「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることができません。」
そして弟子たちに思い出させます。
「私はキリストではなく、その前に遣わされた者です。」
ヨハネは自分の使命をはっきり理解していました。
さらに彼は結婚式のたとえを用います。
「花嫁を迎えるのは花婿です。」
花婿はキリストであり、花嫁は神の民を表しています。
ヨハネは花婿の友人にすぎません。
友人の役目は主役になることではなく、花婿を迎えることです。
そのためヨハネは言います。
「私は喜びで満たされているのです。」
そして有名なことばを語ります。
「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」
これはバプテスマのヨハネの生涯を要約する一節です。
彼は人々を自分に引きつけるのではなく、キリストへ向け続けたのです。
上から来られる方(3:31-34)
ここからヨハネの証言はさらに高められます。
イエスについて、
「上から来られる方は、すべてのものの上におられます。」
と語られます。
地から出た人間は地上のことしか語れません。
しかしイエスは天から来られた方であり、神の真理を完全に語ることがおできになります。
残念ながら多くの人々はその証言を受け入れませんでした。
しかし受け入れる者は、
「神は真実である」
ことを認めるのです。
またイエスについて、
「神は御霊を量ることなくお与えになる。」
と語られます。
旧約の預言者たちは限られた形で御霊を受けました。
しかし御子は御霊の満ち満ちた豊かさの中で働かれる方です。
御子を信じる者のいのち(3:35-36)
最後にヨハネは救いについて語ります。
「父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお与えになりました。」
そして結論として言います。
「御子を信じる者は永遠のいのちを持っています。」
ヨハネ福音書の中心テーマがここにあります。
永遠のいのちは将来だけの約束ではありません。
すでに今、御子を信じる者に与えられています。
一方で、
「御子に聞き従わない者はいのちを見ることができません。」
とも語られます。
人間は最終的に、御子にどう応答するかによって分けられるのです。
ヨハネの最後の証言
この場面は、バプテスマのヨハネの公的な証言の頂点です。
彼は最後まで自分を高めませんでした。
むしろ、
- 自分は道備えの者
- イエスは花婿
- イエスは天から来られた方
- イエスは御子
- イエスを信じる者は永遠のいのちを持つ
ことを証言しました。
ヨハネの働きは、自分が目立つことではなく、人々をキリストへ導くことだったのです。
この箇所が私たちに語ること
私たちはしばしば、自分が認められることや評価されることを求めます。
しかしバプテスマのヨハネは、
「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」
と言いました。
真の信仰とは、自分を大きくすることではなく、キリストが大きく見えるようになることです。
またヨハネは、永遠のいのちが御子を信じることによって与えられると証言しました。
救いの中心は人間ではなく、神の御子イエス・キリストなのです。
この箇所の中心メッセージ
バプテスマのヨハネは、自分は衰えキリストが盛んにならなければならないと証言した。
イエスこそ天から来られた神の御子であり、永遠のいのちを与える方である。
真の証人は自分ではなくキリストを指し示し続けるのである。
「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」(ヨハネ3:30)

